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きれいなあのこ(吉田丸悠)収録『ミニスカートよさようなら』雑感

※この記事はネタバレを含みます。

 

きれいなあのこ(吉田丸悠)収録の『ミニスカートよさようなら』がすごく好みだったので勢いに任せて雑感。

ひと言で言えば、大勢に好かれることを目標に頑張っていた女の子が、たった一人からの愛を勝ち得る話。

ただ、それ以前に、アイドルとしてのアガリを迎える二人の対比で話が駆動するので、まずそっちから見ていく。

 

 

 

中心人物のひとりであるミユ――自分のことをかわいいから価値があると考えている女の子――は作中でこんなことを言う。

 

「ミユ、よく能なしって言われるけどね。でも『かわいい』がミユの能なの」

 

ミユが作中でコンプレックスを抱えているという明確な描写はない。しかしこのセリフから察するに、自分にはかわいいという取り柄しかないとか思い込んでいそうではある。思いつめていそうではある。

だからミユは誰にでも愛想を振りまく。

本当の自分では誰にでも振り向いてもらえないと思い込んでいるから、必至で『かわいい』を振りまく。

ファンであれ、同い年のマユに対してであれ、それは変わらない。

それは努力だ。人に好かれるための努力。

徹夜でファンレターの返事を書き、ダイエットで絶食し、ダンスDVDを購入して腰を痛めるまで練習する。ミユは人に好かれるための、言い換えるならばアイドルとしての人気を得るための努力を怠らない。

そんなミユの姿を見て、メンバーのなかでも特に身近にいるマユは、その努力を不思議に思う。時にはあまりの能天気さに腹立たしくも感じる。

マユの、アイドルに対する考え方はミユとは違う。完膚泣きとまで言っていいほど方向性が違っている。

 

「アイドルって結局若いうちしかできないじゃないっすか」

 

年をとればすべてがご破算。

日々を重ねるごとにアイドルとして終わりへ向かっていくという焦りから、漠然とした不安をマユは抱えている。日々を重ねるごとに終わりへと向かっていくアイドルという自身の立場に疑問を感じてしまっているのだ。だから、ミユの行動を素直に見れない。このまま行けばただ終わるだけなのにどうしてそんなに頑張れるのか不思議に思う。

この二人は、言うなれば上手い具合に対比されているのだ。

立場は同じアイドル。年も同じアイドル。しかし、似たような境遇にあっても、アイドルとしてのアガリを迎えるにあたっての心境の持ち方と考え方は決定的に違う。

もう少し詳しく見ていく。

ミユはアイドルとしての終わりに対してこんな風に発言する。

 

「ミユひとつ決めてることがあるの。絶対18までに死ぬの! かわいいまま死んで永遠のアイドルになるの!!」

 

アイドルとして生きてアイドルにふさわしい死に方をする。

完全にイっちまってる。

髪の毛の先から足のつま先までアイドルに染まりきったようなことを言う。ミユはどっぷりアイドルにつかりきっているのだ。

もちろんこれはこの話のオチに繋がることで、本当に死ぬわけではないけれど、アイドルとしてのミユは確かに死ぬ。きれいなまま死ねば人々の記憶には、きれいなままで残る。年を経るにつれ生まれる「かわいくないミユ」は存在しないことになるからだ。

ナチュラルボーンアイドル。ミユは生まれついてのアイドルなのだ。

その点マユはどうか。

若いうちでしかできないアイドルに限界を感じ、将来に対する漠然とした不安を抱えているというのはさっき示したとおり。

ではマユはアイドルをどう認識しているだろうか。プロデューサーにこの仕事が好きかと問われた時にマユは「わかりません」と答えた。このことからわかるように、マユはアイドルという存在にどうしようもない疑問を感じている。

アイドルに対して、昔は熱意にあふれていたけど今は漠然とした不安に覆われその熱は冷めている、という解釈も出来るがおそらく違う。

マユはアイドルに対して元々さめた目で見ていた節がある。

元々熱意があったのなら、アイドルとしての人気を得るためのミユの努力を「わからない」などと言えるはずがない。

昔、マユが、ミユと同じ方向性で頑張っていたのならその想いを共有できるからだ。

マユがアイドルになった経緯は書かれていないが、アイドルに対する考え方がすごくドライなのは間違いない。

 マユは、アイドルを、様々な憧れを集める対象としてではなく、数ある職業のうちのひとつとして見ているのかもしれない。

 

二人の考え方、行動の違いは平成絶対領域委員会(以下絶会)を解散させるという会話を聞いたシーンでよく出ている。

ミユはお偉方に食って掛かる。「(省略)その他もろもろに土下座して回りました? (中略)そこまでしないとアイドル育てる資格なんてないですよ」、と。長いんで省略したが、まず、プロデューサーに問い詰めをかますというところでミユの熱意の高さがうかがえる。

対してマユは呆然と立ち尽くすばかりでミユが問い詰めるのをただ見ているばかりだ。

その後、トボトボと道を歩くシーンでは『使い捨ての消耗品。芸能人なんてそんなもんさ』とまで言っている。マユのアイドルに対しての冷め切った考えがここでも明らかになっている。

では、マユは絶会の解散話を目の当たりにして何も感じなかったのか、というとそれはまた違う。

グループの解散自体には諦めた様子のマユだったが、解散が現実味を帯び、いろんな考えが頭の中を巡る。

アイドルや芸能界に対しては冷め切った目で見ているマユが、絶会解散に直面してまず思い浮かべたのはメンバーのこと。

そして、特に心配したのは。

ミユのことだった。

絶会が解散したら。

アイツはどうなる?

あれだけ頑張っていたアイツはどうなる? あれだけ18になる前に死ぬの! と張り切っていたアイツはどうなる? あれだけ自分にない『アイドルへの執着』を持っていたアイツはどうなる?

これは推測だけどマユはミユのことをうらやましく思っていたのではないだろうか。

自分にはない愛想を持っているミユに。自分にはない執着心を持っているミユに。自分にとっては憂鬱な悩みのタネでしかないアイドルとしての終わりを、破滅的ではあるにせよ肯定的にとらえられるミユに。

マユは、ミユに突っ走ったままでいて欲しかったのかもしれない。その感情はもしかしたら軽い憧れのようなものであったかもしれない。

だからマユは、ミユが自殺してしまう! 

と勘違いしたシーンでこんなことを言うのだ。

 

「俺はお前が死んでも絶対悲しんだり泣いたりしねーぞ! 絶対だ! ツバ吐いてゴミ捨ててめちゃくちゃマヌケな死に顔でしたって証言してやる! わかったらさっさと○ねブス!」

 

これはミユが望んだ『きれいなままの私』を否定する言葉である。

ミユは、18で死ねば、かわいいままの自分で人々の記憶にとどまることができると考えていた。永遠のアイドルになれると考えていた。

マユの言葉は、ミユのその願望を否定するものだった。

てめぇだけ先に楽になってんじゃねーよ! これくらいで落ち込んでじゃねー。生きろブス!

マユの言葉は言い換えればそんな感じだ。

だからその後の帰り道のシーンでミユは言うのだ。あんなこと言われたけど、嬉しい、と。

当たり前だ。

マユがホームで放った言葉は、ミユの願望を否定するものではあったけど、ミユ自身を肯定するものでもあったからだ。

どういうことかと言うと、後のマユのセリフにその言葉の真意が反映されている。

 

(かわいいだけが能なの、というミユの言葉を受けて)

「……能、能って言うけどさ、それだけで好きになるわけじゃねーだろ。たとえばさ、例えばの話だけどさ、10年経っても20年経っても100年経っても、ガリガリになろうと皺くちゃになろうとデブろうと」

「おまえが好きだ」

「って物好きもいんじゃねーの?」

 

人気を取ろうとして、人に好かれるよう努力をして、それもいいことだし、すげーって思うけど、そんなことしなくったってお前を好きな人間はきっといるよ。

そんなダイレクトなメッセージをマユはミユに送っていたのだ。

マユのこの言葉は、後にミユの外面を取り払うためのものとして機能する。

 

 

この直後ミユはアイドルとして死ぬための計画を実行する。

絶会のJC組喫煙疑惑事件。

かくしてミユは失踪する。

これにて人々の記憶には永遠のアイドルとして「かわいいミユ」が残り、ミユの思惑は成功するというわけだ。

好きな人を道連れにして最後の瞬間にキスしてもらうという願望まで果たして。

さて、鮮やかな終わりを見せる本作『ミニスカートにさようなら』だが、すこしばかり疑問が残る。

あれだけアイドルとして努力していたミユの執着はどこへ行ったのだろうか。アイドルに執着していたミユが、あれだけ思い切った行動に出たのはなぜだろうか。

きっかけはもちろん絶会解散を聞いたときだろう。

しかし、それだけではない。

推測するに、ミユはマユに、「おまえが好きだ」という例の一連のセリフをかけてもらえたときにアイドルへの執着を振り払ったのではないかと思う。

ミユが今までしていたのは不特定多数に好かれるための努力で、人気を得るための努力だ。誰かのために笑う。応援してくれている誰かのために笑う。見てくれている誰かの笑う。そういった不特定多数から好かれるための、かわいい自分を演出する努力を、ミユはずっとしてきた。

対してマユからもらった言葉は、そういった飾りつけた自分を取っ払って、アイドルとしてのステータスも、可愛いだけが取り柄という能も、すべて取っ払ったありのままのおまえが好きだという、たった一人からの愛だ。

やっとマユからもらえた愛の告白にミユの今まで積み重ねてきた努力や経験は吹っ飛んでしまったのではないだろうか。

ありのままのおまえが好き。

この告白に勝るものはそうそうない。

マユのほうはさりげなくかけた言葉だったけど、ミユには全部バレバレでしたという話。

もしかしたらミユはマユにその言葉をかけてもらうためにここまで努力していたのかもしれない。そういう感じのフシはある。「ミユに落とせない人はいないの」や唐突なキスなどなど。断言するには材料が足りないけれど。

ただ、マユにかけてもらった言葉で、ミユに変化が起きたことは間違いない。

それは『ミニスカートよさようなら』とクロージングの『カーテンコール』に登場するミユを見比べれば一目瞭然だ。

『カーテンコール』に出てくるミユは出鼻に男から告白される。その言葉はなんと、あの日、マユが言った言葉そのものだ。

「僕は10年経っても20年経っても100年経っても、しわくちゃになろうとガリガリになろうと太ろうとあなたがすきです! 結婚してください!」

それに対するミユの返答は。

 

「えーミユ、ブサイクな人嫌い」

 

ああ、なんてこったい!

昔、あれだけ誰にでも好かれようと努力していたアイドルの面影はまったく見出せない。どころか、ありのままのあなたが好きです、という言葉にもド正直でキツイ言葉で返すという気ままな性格。

例えファンがブサイクであったとしても愛想を振りまいていただろうミユはもう完全に死んでいるのだ。

そう、あの日のマユの言葉で、ミユを飾っていたものはすべてぶち壊されたのだ。

タイトルの『ミニスカートよさようなら』とは、アイドルからの卒業を意味している。(平成絶対領域委員会は、ミニスカートとニーソックスの間に生まれる絶対領域の魅力を伝えることを活動目的としていた、らしい)

ラストシーンで登場するのはアイドルの女の子ではなくただの一人の女の子なのだ。

だからその何の変哲もない女の子に向かってマユは嬉しそうに呼びかける。

 

「おい、そこのブス!!」

 

二人の、アイドルではない、ただの女の子同士が出会う。

これから二人は取り留めのない会話をして、ありふれた展開で仲良くなって、どこにでも転がっているような恋愛を経験するのだろう。

それは何ひとつ特別なことのない話なのだろう。

こうしてミユは、不特定多数からの行為と引き換えに、特定の一人からの愛を勝ち得たのだ。

ああ、二人の物語の続きが読みたい。

 

きれいなあのこ (ひらり、コミックス)

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