ラブライブ!(アニメ)の再放送にかこつけて、絢瀬絵里について考えてみた。
放送当時はいろいろ腑に落ちないことがあったので、今、再放送が終わったこのときに、ほげーっと絢瀬絵里について考えていたことをまとめてみた。
絵里が抱えるもの
それではまずアニメ開始時点の絵里がどういう状況に置かれているのか、から整理していく。
まず絢瀬絵里のパーソナリティを知っていくうえで重要な点は「過去に挫折を経験している」ことだ。この事実は、8話Bパートの最初でほんのワンシーン描かれているだけである。ステージで踊る幼い絵里とその後の不合格のシーンがそうだ。
過去に挫折を経験しているという事実は、実に重要な要素にもかかわらず、絵里の口からも、またその近しい人物である希からも直接には語られない。ただ映像でほのめかされているだけである。まあ、自分や他人の挫折体験を話すというのもあまりほめられることではないし、それをやってしまうとにこと同じパターンになってしまうという事情もあったのかもしれない。
しかし、それだけ短いシーンではあるのだけれど、重要なことに変わりはない。その原体験は強烈だったらしく、後々の絵里の行動にあるひとつの枷をはめた。「自分の好きなことを素直に好きといえない、その気持ちにフタをして行動に移せない」過去の挫折が後を引いて、新しいことに取り組めない。これがアニメ開始時点で絵里が抱えている背景である 。幼いときの経験をその後ずっとひきずってしまっている。描写されてはいないけれど、8話での穂乃果への台詞(後述)から相当努力したことも推測される。だから「いくら好きだからってそれだけで成功するわけない。好きだからって努力を続けたって結果はダメになるかも」というメッセージも受け取ったのかもしれない。
つまりラブライブ!(アニメ)の開始時点での絵里は「好きなことをしたってダメよ。だって、ほら、昔は上手くいかなかったじゃない! 今回だってうまくいかないかもしれない。だから好きなことじゃなくて、自分がやりたいことでもなくて、もっとちゃんとしたことで廃校を阻止しましょう」という思考に支配されている。
そのネガティブな感情には、好きなことをしてまた失敗したらどうしようという恐怖心もくっついてくる。好きで、やりたいけど、過去の経験、そして自身の考え方に縛られて、がんじがらめに陥っているという状態だ。
7話以前の絵里の行動に不審な点が多いのはその辺りの気持ちを、穂乃果たちの活動に揺さぶられてのことだ。廃校を救う手段に、生徒会としての活動を選んだのも、自分が好きでないことだから。昔、好きなことやっていてもダメだったから、今度は自分の好きでないことで、ちゃんとした活動として生徒会を選んだ。周りから、あるいは視聴者から見れば「なんで生徒会にこだわんの?ていうか何がしたいの?」と謎に思うことだろう。その不可解な行動も過去の挫折からくる、割り切れない感情に支配されてのことなのだ。
さて、話が多少前後する。
アニメ1話開始時点。
後ろ向き全開な絵里に転機が訪れる。
自分の好きなことにフタをして(8話OP前、幼い自分をドアで隠すシーンが象徴的)廃校という危機に立ち向かおうとした絵里だけど、その前にひとりの人物が颯爽と現れる。高坂穂乃果だ。
絵里が穂乃果から与えられたもの
絢瀬絵里は、都合二回、高坂穂乃果に『引っぱたかれて』いる。これは、海未が穂乃果にやったような物理的な意味ではない。穂乃果の持つ底なしの前向きさによって、もっと正確に言うなら、「やりたいからです!」という言葉によって打ちのめされているのだ。
一度目はμ’sがまだ二年生組の三人だけだった頃のファーストライブにて。
ゼロに近い観客席を絵里が目にした時の、「これ以上続けても意味があるとは思えないけど」というセリフの返答として「やりたいからです!」と返ってきた。
二度目は8話。オープンキャンパスライブの練習で張り切る穂乃果に、これまた絵里が冷や水を浴びせるような発言をする。
「辛くないの? 昨日あんなにやって、今日また同じことをするのよ。第一上手くなるかどうかもわからないのに」
穂乃果の「やりたいからです!」は、その直後に、間髪いれず、飛んでくる。 加えてこう続く。
「確かに練習はすごくきついです。身体中痛いです。でも廃校をなんとか阻止したいという気持ちは、生徒会長にも負けません。だから今日も、よろしくお願いします!」
一度目と二度目の「やりたいからです!」発言に対する絵里の反応に注目してみると明らかに違っているのがわかる。 一度目はどことなく硬めで、あるいは敵対心のようなものも見え隠れする表情だったのが、二度目では目に見えるほどうろたえている。
絵里は、一度目も二度目も自分の経験を踏まえて穂乃果に厳しい言葉を投げかけている。 一度目。「もう続ける意味はないでしょう?」そして、二度目。「いくらやったって上手くなるかもどうかわからないのにまだやるの? つらいのに?」おそらく無意識にだろうが、この一度目と二度目ともに、どちらも絵里が穂乃果に同意を求めて言った言葉だ。
「(私はこんな観客の人数じゃ踊れないわあなたもそうでしょう)続ける意味はないでしょう?」
「(私はこんなつらい練習にはたえられなかったわ、しかも上達するかどうかもわからないのにあなたもじきにやめるでしょうに)まだやるの?」
しかし、返答は知っての通り。絵里が望んだ答えとは間逆の答えが返ってきた。しかも、言葉だけでなく、ちゃんと行動するという有限実行ぷりまで付けあわせで。そんなものを見せられたら、数年引きずってきた枷がどれだけ強固だろうともヒビくらいは入る。
一度目、つまり3話のファーストライブ時の絢瀬絵里はまだまだ頑なで、過去の挫折を心の奥に引きずったままの状態だ。しかし、自身が興味を持つ問題、廃校をどうやって阻止するかという問題に関わるにつれ、絵里を取り巻く環境は徐々に変わっていった。
まず第一に、というか、これが割と決定的だと思うけど、絵里がファーストライブの映像を撮影して、ネットにアップしていたこと。未熟なダンスを見てもらってμ’sに恥をかかせるという目的だった、と後に絵里本人の口から語られる。
とにかく、絵里は散々な結果に終わったμ’sのファーストライブの映像をネットにアップした。そしてこれが契機となって海未と亜里沙が知り合い、絵里の過去を知られるはめになったのである。 「μ’sつぶれろ」と思ってやったことが、皮肉にも、後にμ’sを大きく成長させるきっかけとなったのだ。いや、最終的にはμ’sにとっても絵里にとっても、いい方向に落ち着くのだから皮肉にもって言い方はおかしいけど。
他、廃校を阻止するために生徒会で議題に上げたり、オープンキャンパスで亜里沙やその友達の前でプレゼンの読み聞かせをしたり、理事長に生徒会としての活動を要請したり。絵里はその後も断固として、生徒会として廃校を救おうという姿勢を崩さない。しかし、その度に返って来るのはなぜか同じ決まった答え。生徒会に固執する絵里の姿勢に投げかけられる懐疑的な言葉。亜里沙から問われる「本当にやりたいことはなに?」
まず、最初に穂乃果に目覚めさせられて、理事長に生徒会としての活動を否定されて、亜里沙に「これがやりたいこと?」と問われ、絵里の本心にはめられた枷にも少しずつ亀裂が走っていく。
おそらく絵里自身もわかっていなかったのだ。自分が何にどう感じているのか。論拠と言えるほどのシーンはないけど、絵里がμ’sに対してやけにつっかかるのも、ファーストライブ映像をネットにアップするという客観的に見ればおかしい行動をとってしまったのも、内に抱える鬱屈とした感情をどうすればいいのかわからなかったのではないかと思う。
そんな感情を抱えたまま、μ’sの練習を見ていたときに絵里は二度目の『やりたいからです!』を投げつけられる。
そこで絵里は初めて気づく。
いたんだよ。
自分自身がとうに諦めきった『やりたいことを貫いて廃校という問題をどうにかしようとするバカ』が目の前にいたんだよ。
そこから事態は急展開して、自分の本心に気づいた絵里は屋上から逃走。追い討ちを駆けられるように希に本心を浮き彫りにされ、そして見事に絵里の心情を表した(としか思えない歌詞の1stシングル)『僕らのLIFE、君とのLIVE』へ繋がっていく。
結果として、本心を頑なにしていた枷を破り、絵里はめでたく自分に素直になれたのだ。その事実は、ED直前の表情に表れている。バレエを心の底から楽しんでいた幼い絵里の表情とスクールアイドルとして精一杯のパフォーマンスをする今の絵里の表情が重なるのだ。そんな憎い演出でもって8話は幕を閉じる。
絵里が抱えたもの
あるひとつの出来事は3つの節にわけて考えてみると多少わかりやすくなる。すなわち、起点、転換点、終点だ。どういう状態・背景で始まって、どういう出来事によって、その状態・背景がどう変わったのか。と、3つにわける。
今までは、絢瀬絵里の背景・状態を述べて、どういう出来事が起きたのかを説明した。過去の挫折により鬱屈とした感情を抱えていた絢瀬絵里は、周囲の人と関わることにより、その暗い経験を克服し、自分に素直になれた。起点と転換点だ。
では、次に終点はどうだったのか。
絢瀬絵里のストーリーの起点、転換点が1~8話で分散的そして時間が前後して説明されているのに対し、終点はあまり明示的ではない。あるいは、8話のラストを終点だとみなしてもいい、というか察しのいい人だったらそれだけで十分だろう。でも物分りの悪い人間のためにも*2、もう少しはっきりとした終点が欲しい。この経験で絵里がどう変わったのかがもう少しはっきりと知りたい。
ということで、話は一気に13話に飛ぶ。この話では絵里が8話時点の出来事を振り返った発言をする。落ち込む穂乃果へ絵里が投げかける言葉がそうだ。
「でもね、私は穂乃果に一番大切なものを教えてもらったの」
「変わることを恐れないで、突き進む勇気。私はあの時、あなたの手に救われた」
それが、その言葉のすべてが、7・8話で、絵里が穂乃果から受け取ったものだ。
しばしば絵里は「自分は弱い人間だ」と発言する。
13話での穂乃果とのやり取りでもそんなことを言う。「素直に自分が思っていることをそのまま行動に起こせる姿がすごい」とまで言って、自分と穂乃果の姿勢の違いを口にした。
9話、穂乃果や海未と並んで帰るときにもこんなことを言う。
「自分のことを優れているなんて思っている人間は、ほとんどいないってこと。だから努力するのよ、みんな」
ここまでをまとめると、ラブライブにおける綾瀬絵里のストーリーとは「過去の挫折により鬱屈とした感情を抱えていたけれど、周囲の人と関わることにより、その暗い経験を克服し、自分に素直になれた。そしてその立ち直った経験から新しい姿勢を身につけた」という所に落ち着く。
絵里は自分のことを弱い人間だと感じている。それは過去の挫折を今まで引きずっていたという事実から見て、正しいのかもしれない。
しかし、μ´sのメンバーとして活動していく中でその弱さにも変化が見られるのだ。
これまで引きずってきた過去を振り払った結果。
自分の弱さに気づいた結果。
その経験が、ひいては13話での、穂乃果へ手を差し伸べられる強さへと変わっているのだ。
絵里のやりたいこと
そろそろまとめる。
これまで絢瀬絵里の行動について考えてきたけれど、意図的に触れなかった点がひとつある。
それは、「なぜ絢瀬絵里はスクールアイドルをやりたかったのか」だ。
どうして絵里はスクールアイドルをやりたいという思いに至ったのだろうか。
これは残念ながら本編中のどこを探しても見つからない。スクールアイドルをやりたい動機を当の本人が口にしていないのだ。
かろうじて「特に理由なんて必要ない。やりたいからやってみる。本当にやりたいことってそんな感じで始まるんやない」という希のセリフが鍵になっているような気もする。
そのセリフを額面どおりに受け取れば「廃校を阻止しようと同じ目標を持っていた人物(穂乃果)がやっていたから興味を持った」と言う風にも受け取れる。それでも少し弱い気はする。
ここからはもう本当に推測に推測を重ねるような手探りの話になるけれど、絵里がスクールアイドルを始めるに当たっての強い動機と言うのは、なかったのかもしれない。身近で影響を受けた人物がたまたまスクールアイドルをやっていたから興味を持ったとか、その程度の軽い動機なのかもしれない。だから、極端な話、穂乃果が和菓子で廃校を救おうとしていれば絵里は和菓子に走ったかもしれないし、剣道だったら剣道に走ったかもしれない。……うん、すごくムリヤリな論調なのはわかっている。結局、「なぜ絵里がスクールアイドルをやりたかったのか」と言う動機はわからないままだ。
ということでちょっと視点を変えてみる。
今までアニメ内の材料だけで語ってきたけど、反則手段としてここで視聴者側に目を向けてみる。
視聴者側といっても自分のことしかわからないから必然的に僕自身のことになるのだけれど。
つまり、逆に、僕はなぜそんなに「絵里がスクールアイドルを始めるにあたっての動機」にこだわるのだろうか。
おそらくこうだ。
絵里がμ’sに加入するまでに入ったメンバーは少なからず動機が描かれていたからだ。穂乃果は廃校を阻止したかったからだし、ことり・海未は穂乃果が始めたからだし、真姫は自身が持つ音楽性を穂乃果に必要とされたからだし、花陽はアイドルに憧れていたからだし、凛は自身が女の子っぽくないとコンプレックスを抱えていたからだし、にこは穂乃果の本気に当てられたからだ。どれもこれも些細な差はあれ、スクールアイドルに興味を持つだけの動機たりえるものだ。絵里加入までのメンバーにそれだけの動機があるものだから、僕は、絵里にも確固とした動機があるものだと思い込んでしまったのだと思う。
つまり、先入観だ。 先入観を取り払って、絵里にはスクールアイドルに興味を持つだけの動機はない、と結論付けてしまえば、不可解な点はなくなる。
あるいはこう考えることも出来る。それまでに加入したメンバーとは違って、絵里の役割は変則的なものだという解釈も出来る。
それまでのメンバーが「どうしてスクールアイドルをやりたいのか」に重点が置かれていたのに対し、絵里のストーリーはまた別のアプローチでラブライブのテーマを表現したものである、と。そしてそのアプローチこそが、8話のタイトル「やりたいことは」に集約されている。
もし、あなたがここまで読んでも、絵里がスクールアイドルを始める動機に疑問を持つようならとことんまで突き詰めるといい。
描かれていないことは、様々な材料を吟味して推測するほかはない。
そしておそらく、その意図的もしくは偶然ぽっかりと空いた語られない空白に8話の魅力があるのだから。
蛇足
僕は『制作者が意見を持っていても、受け手が真実だと思ったことが答えだ』という立場から物を言っている。
好きなように読みゃあいいのだ。
ただそんな立場でも制作者の発言は時としてヒントにもなりうる。『電撃G’smagazine8月号』の監督インタビューから、絢瀬絵里のストーリーに密接に関わるものを抜粋しておく。
――この全13話で、監督が一番描きたかったことはなんでしょうか?
京極:第8話のサブタイトルにもなってますが、「やりたいことは」につきます。本人がやろうとすること、夢を目指すというのはなにかというのを掘り下げたというか。教科書には載ってないけれど、体感として得られるものってあるじゃないですか。それをμ’sと一緒にみなさんにも感じてほしかった。
蛇足の二
絢瀬絵里は、矢澤にことならんで、アニメ化前とアニメ化後でもっとも性格が変わったキャラだと言う意見をよく聞く。それは脚本・シリーズ構成を担当した花田氏も認めるところで、電撃ラブライブ3学期のインタビューで先輩キャラらしくしたと述べている。
アニメ化に当たってのキャラ改変というと、もともとそのコンテンツを支持していたファンにとってはあまり歓迎されるべきものではない。そりゃそうだ。今まで好きだったキャラが別人物になってしまう危険性も孕んでいるのだから。しかし、この絢瀬絵里の、アニメ化に当たってのキャラ再構築は、それまでの絢瀬絵里を無視したものではない。僕自身、現時点のラブライバーの(たぶん)9割を占める、アニメからの新参なので、ラブライブというコンテンツをさかのぼっていく内にわかったことではあるのだけれど、手元にあるラブライブファーストファンブックの絢瀬絵里の項目にはこういった言葉が載っている。
「私、最初はアイドルになる夢とかってちょっとバカにしたりしてから――あ、でも、今は本当に本気よ。みんなを信じてがんばるって決めたから」(2010年10月号/μ’s1stシングル発売後コメント)
どうだろうか。このコメントとアニメにおける絵里の行動に一致する点があるとは思わないだろうか。すくなくとも粗筋は通っていると思うのだ。それを根拠としてアニメ化における絵里の改変はまったくの寄る辺ないデタラメなんかではない、と結論づけられる。
長々と語ってきたけれど、ラブライブ!と言うコンテンツは良くも悪くも電撃の読参企画に連なるものだなあ、と。メディアごとのブレを受け止めながら、そう思うよ。