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メモ用紙を貼っ付けるコルクボードです。主に感想・雑文用。感想系はネタバレあるんで注意。

ラブライブ!(アニメ)の再放送にかこつけて、矢澤にこについて考えてみた。

 絢瀬絵里の次は矢澤にこについてである。

 といっても矢澤にこは、絢瀬絵里ほど活躍の場面は多くはない。にこが本筋に関わってくるのは加入回の5話と12、3話の一場面に限られるからだ。それ以外では画面の賑やかし要員としての面が大きい。もちろんそれらもにこのキャラクターを形作る、重要なシーンには違いないのだけれど。

 

 

 にこが本当に欲しかったもの

 

 では5話においてにこの何が描かれていたのかを具体的に見ていく。

 まず、にこの過去。

 つまり絵里の項で話したときの前提(起点)にあたる。これは希がにこについて語ってくれるので、ほのめかされる程度だった絵里に比べるとだいぶわかりやすい。

 

「アイドルとしての目標が高すぎたんやろね。にこっち以外の子がね」

 

 辞めた、という。一人残らず。

 にこはμ’sメンバーの中で一番アイドルへの思い入れがあるキャラとして描かれている。ほか、アイドルに興味があるキャラとしては花陽がいるが、にこと違ってアイドル活動をやっていた過去もないし、また花陽の担当回で描かれているテーマは「アイドルへの想い」よりも「勇気をもって最初の一歩を踏み出す」というテーマのほうに比重が置かれている。

 その点にこのアイドルに対する想いは別格で、登場時にはアイドル研究部に所属し、しかも目標が高すぎたから旧アイドル研究部のメンバーがついていけなかったというインパクトの強い過去を持つ。にこのアイドルに対する意識の高さや信念は5話を見れば充分に感じ取れる。

 しかし、すこし不可解な部分がある。それだけアイドルへの強い想いを持っているにもかかわらず、旧アイドル研究部のメンバーが去った後のにこがやっていたことといえば、アイドル研究部を存続させたことだけである。

 いやそれだけでもすごいことではある。普通は一人になってまで部を存続させようとするのは結構きつい。

 ただ、アイドルは、別に複数人でなくても出来る。今、現実に存在するアイドルは大多数がグループだから錯覚しがちだけど、アイドルの歴史を振り返れば一人でやってるアイドルはわんさか出てくる。一人でだって出来るのだ。

 やりゃあよかったのだ。にこは。アイドルを。ひとりで。

 本当に好きであるのならば。

 もしかしたら、描写がないだけで細々と活動していたのかもしれないし、地道に活動の下準備をしていたのかもしれない。

 しかし、アニメ中での描写はそれを否定する。

 二年生組の誰一人として、音ノ木坂にアイドル研究部が存在したことを知らなかったことは、にこが大々的な活動をしていなかったことを示している。そして4話ラストでの、μ’sホームページへの誹謗中傷を行っている姿からは、とても高い目標を持って活動している人間を想像することはできない。

 つまりにこは5話開始時点で腐っているのだ。こじらせているのだ。

 極めつけはμ’s(というか穂乃果)に対するいくつかの嫌がらせと雨の中を帰宅することほのうみを見てのひと言だ。

 

「なに仲良さそうに話してんのよ」

 

 よくよく5話を見ればあることに気づく。にこが一人ぼっちで寂しくしている姿が必要以上に強調して描かれていることである。ことほのうみへのひと言の他に、放課後の教室で誰にも話しかけられない姿、部室で曇り空をひとり眺める姿などがそれだ。おそらく穂乃果たち6人がわいわいやっていることとの対比だろう。

 これら5話で描かれた事実は、矢澤にこが「単なるアイドルファン」だという典型的キャラクターであることを否定している。矢澤にこが持つキャラクター性と役割はそれだけにとどまらない。

 それでは、矢澤にこはどういった人物なのか。

 アイドルに憧れながらも、挫折を経験した後は特に何をすることもなく、一人ぼっちでいるところを耐えて、最後には穂乃果たちと一緒にスクールアイドル活動を再開するにこの内面は、どういったものなのだろうか。

 結論から言えば、にこは確かにアイドルに憧れ、アイドル研究部を続けていた。しかし、それと同時に、一緒に同じ目標を目指すことの出来る人間を欲しているのだ。自分がアイドルを目指す、それと同じだけの熱量を持った人間を求めていたのだ。必要以上に一人ボッチでいる姿が描かれていたのも、後に穂乃果たちによって救われるための演出だ。

 5話のラストで穂乃果たちが行った、にこ先輩攻略法「それじゃアイドル研究部に入っちゃえばいいんだよ」は、いささか強引な印象を受けるけど、同じ目標に向かう仲間を求めるような、にこという人間にとってはかなり理に適った作戦であったのだ。

 そもそもがμ’sに対して興味を持ったからいたずらを仕掛けていたわけで、初めから脈は十分あったというのはアニメで希が語っている通り。この辺、絢瀬絵里と似通った点がある。

 ただし、先に述べた矢澤にこは仲間を求めていた、という人物像は5話だけで理解しようとするとしっくりこない点もある。

 その点については12話ラストで、にこがとった言動の中にちょっとした矛盾があることと合わせて後に考えてみる。

 とりあえずこの項は『にこは旧アイドル研究部のメンバーが辞めた後は特に活動はしていなかった。その理由は一緒に夢を見てくれる仲間がいなかったから』という結論で締めさせていただく。

 

 にこと絵里の共通点

 

 5話の話が終わったので次は12・3話といきたいところだが、その前に少し寄り道をする。12・3話を見ていく上での助けとなる要素もあるので、にこと絵里の共通点について見ていく。

 実はにこと絵里には共通点が多い。

 ざっと共通点を挙げるとこれだけある。

 ・三年生である。

 ・過去に挫折を経験している。

 ・メンバー中でも二人とも外向きの視点を持っている。 

 順を追って説明する。

 まず「三年生である」。

 説明不要。と言いたいところだが、実は重要だ。両人とも三年生であるがゆえにとある役割を与えられている。それは後の過去の挫折を体験していることにも通ずることだ。

「過去に挫折を体験している」。

 絵里は小さい頃のバレエの体験。にこは音ノ木坂に入ってからのアイドル研究部失敗の体験。どちらもやりたいことをやって、やりたいことを断念した経験を持つ。

 このことは単なるキャラ付けのためのアクセントに過ぎないと捉えられるかもしれないが、ストーリー上非常に重要な要素になっている。

 にこのその体験が発揮されるのは絵里と違ってとても遅く、13話でのことだ。

 穂乃果が立ち直るまでの間、寄り添って励まし、また叱咤したのはメンバー中でこの二人だけである。

 それは他のメンバーが冷たかったからではなく、やりたいことをやって失敗を体験した穂乃果にかける言葉を持っていたのは、実はこの二人だけだったからだ。励ます、しかる、なんて行為は誰にでもできるものではない。当人と似通った境遇に陥った者の言葉にしか、説得力は生まれない。自分勝手に動いてμ’sの危機を作り出して、ヤケになってしまった穂乃果の心に響く言葉をかけられるのは、メンバー中でも挫折を経験したことのあるこの二人だけなのだ。

 ラブライブ!3学期のインタビューでシリーズ構成を担当した花田氏はこう語る。

 

 3年生は先輩っぽい性格が絵里だけで、にこと希と同じ学年というには差が大きく、成長ドラマを書くには難しい部分があるなと感じたのでアレンジさせて欲しいとお願いしました。(中略)学校が舞台の青春物語であれば、先輩というのはやはり壁であったり、相談相手であったりしてほしかったので。

 

 

 役割のために3年生のキャラを若干アレンジしたと言う。

 つまり13話で落ち込んだ穂乃果を立ち直らせる役目をにこと絵里が担っていたのは決して偶然ではないのだ。もちろん過去の挫折という設定もそれを考えて作られたものだろう。

「メンバー中で二人とも外向きの視点を持っている」。 

 ラブライブ!(アニメ)は内向きの話である。

 まず自分たちが通う学校の廃校を阻止したいということから始まり、そのためにスクールアイドルで学校の知名度をあげようという作戦をとるが、その割りに学校の外が描かれることは非常に少ない。

 描かれたとしてもメンバーの家庭やアキバなど、高校生の行動範囲としておかしくない地元に限られる。

 全体を通したストーリーの軸もメンバー集めから始まり、合宿、ライブ、そしてラスト近辺のμ’s解散の危機と、極めてキャラクターたちの周辺で起こることばかりだ。 ラブライブ!(アニメ)で描かれるエピソードのすべてがメンバーの内から出てきた問題で外部からの干渉が一切ない。*1

 描写範囲が限られている、あるいは狭いといった事実はキャラクターの視線がそろって内向きになることを示している。

 実際穂乃果は最初から最後まで廃校のことやμ´sメンバーのこと、スクールアイドルとしてどう動くか、そしてμ’sの行く末しか考えていなかったし、その側にいることりや海未は言わずもがな。希もμ’sを成立させることに尽力したせいか、大部分において内向きである。一年生組はあまり本筋に関わってこなかったからちょっとわからない。メインストーリーから弾かれることが多かったのが、一年生組の残念なところか。

 しかし、そのメンバーの中でにこと絵里だけが、外向きの、つまりμ’sと向き合う外の世界を意識したような行動をとっている。

 まずにこは常にファンのことを考えている。ひと言目にはお客さん、ふた言目にはファンのみんな。

 いやそんなことは作中では言っていないけど、μ’sがばらばらになったときにも、ライブでのお客さんについて語っているし、なによりその後のラストライブではお客さんの笑顔を気にかけている。

 アイドル意識が高い矢澤にこの志向スタイルは常にお客さんありきなのである。

 それでは絵里はどうかというと。

 例の嫌がらせを考えてみよう

 μ’sのファーストライブを勝手に撮影して、勝手にネットにアップした件だ。

 あの時絵里はこんなことを言っていた。

 

「あなたたちのダンスがどれだけ未熟かということを見せて、あなたたちに恥をかかせたかった」

 

 これは舞台上でのパフォーマンスとは、見られ評価されるものだという意識を、絵里が常に持っていることを示している。そういった意識なしではこのような考えは出てこない。例え見えなくても、モニタ画面の向こうの視聴者を絵里は意識しているのだ。*2

 アイドルとして意識の高いにこと、バレエ経験がある絵里。どうも、メンバー中でステージ上で見られるということを特に気にしているのは、この二人のような気がする。

 もしかすると、一年生のなかでも、西木野真姫はピアノを習っていたそうだから、絵里と似たようなルーツで外向きの視点を持っているのかもしれない。作中でそれが描かれることはなかったけれど。

 

 にこのやりたいこと

 

 さてそれでは本筋に戻る。12・3話において矢澤にこはどういう一面を見せたのか。

 にこが行ったことは、主にふたつだ。

 12話ラストでの穂乃果への叱責と、13話での――これまた穂乃果への――叱咤だ。

 13話のほうから見ていく。

 気晴らしにクラスメイトと遊んだ後、穂乃果は神田明神にたどり着く。そこで練習をしているにこりんぱなに出会う。

 もうμ´sは休止しているのにどうして練習しているのと問う穂乃果への答えとして、にこはちょっと厳しい言葉をかける。

 

「好きだから。にこはアイドルが大好きなの。みんなの前で歌って、ダンスして、みんなと一緒に盛り上がって、また明日から頑張ろうって、そういう気持ちにさせることが出来るアイドルが、わたしは大好きなの! 穂乃果みたいないい加減な好きとは違うの」

 

 にこはμ’sが休止状態になっても、花陽と凛を誘って、独自にアイドル活動を続けていた。だから、このセリフは何が何でもアイドルに憧れるにこの本心なのだ。それは間違いない。そう、間違いないのだが。

 少し腑に落ちない点を感じる。

 この台詞単体では別におかしいことはないのだけど、今までのにこの在り方を考えてみるとどこかに違和感を感じるのだ。

 その違和感の正体とは何なのか。

 そこで話を12話に戻す。

 にこは12話のラストで穂乃果を責めた。穂乃果がスクールアイドルを辞めると宣言したからだ。その場面の筋を追って見てみると、穂乃果の「ラブライブに出ても意味がない」発言や「アライズになんてかないっこない」発言がショックだったように見える。

 発起人である穂乃果自身が、μ’sの可能性や存在意義を否定する発言をしたことがにこにとって何よりも許せなかったわけだ。しかもアイドル研究部で一人寂しく燻っていた自分を巻き込む形で加えた張本人が、後先のことを考えず、辞めるという。

 この事実は、表面上はどれだけバカを言い合う仲でも、にこが穂乃果に格別な信頼を持っていたということ、そして一目置いていたということを表している。

 加えて、このシーンでもうひとつ聞き捨てならないことを、にこは言っている。

 にこが穂乃果にくってかかろうとして、真姫に止められた時のことだ。

 

「にこはねぇ、あんたが本気だと思ったから、本気でアイドルやりたいんだって思ったから、μ’sに入ったのよ! ここにかけようって思ったのよ。それを、こんなことくらいで諦めるの?! こんなことくらいでやる気をなくすの!?」

 

 ここで言う「こんなこと」とはなにか。

 ふたつほど考えられる。

 ひとつはことりがいなくなること。もうひとつはそれに絡んだラブライブ出場辞退を生んだ穂乃果の失態。

 つまり友達の喪失と経緯の失敗。

 そのふたつのどちらか、あるいは両方をにこは、こんなこと、と呼んでいる。

 ここでは穂乃果がそれらを気に病んでいることに対して、にこは腹を立てていると言い換えることも出来る。

 しかし、少し話数をさかのぼって考えてほしい。

 5話だ。

 この話でにこの過去の挫折が明らかになった。

 過去にスクールアイドルをやろうとして失敗し、そしてその過程で友達を失っている。そう、にこもまたスクールアイドル活動中に仲間を失い、活動を休止しているのである。

 詳細は明らかになっていないため断定は出来ないが、おそらく穂乃果が経験した友達の喪失と経緯の失敗を、にこも経験しているのである。この前提を踏まえると、12話ラストの叱責のシーンや13話での叱咤のシーンもまた違って見えてくるのではないだろうか。

 つまり、「こんなこと」の内容が経緯の失敗であれ、友達の喪失であれ、にこにだって穂乃果を責める資格なんてないのだ。いやむしろ他のμ´sメンバーの誰よりもその資格を欠いている。なぜならば自分だって過去に友達を失って、スクールアイドルを辞めている期間があるのだから

 そういった背景があるにも関わらず、あの場面でなぜにこが穂乃果の叱責したのかは、激情が理性を上回ったからといういかにもな理由や、元々そういう性格だったからというミもフタもない理由が考えられる。

 まぁ、だいたいそんなとこだろうと思う。でももう少しだけ希望的な見方をいれることもできる。

 にこはあの場面で過去の自分に似たものを穂乃果にも感じたのだろう。

 だから、同じ失敗を繰り返そうとしている目の前の仲間に、自分のことを棚にあげてまで派手に怒ったのかもしれない。

 穂乃果とにこは実に似ている。リーダー気質なのもそうだし、普段はギャグキャラなのもそうだ。

 スクールアイドル活動で仲間を得て、失敗し、そして友達を失うというコースを奇しくも両人がたどっている。

 ただし、にこはそのままアイドル研究部として身を潜め、穂乃果は様々な引き立てがあって立ち直ることが出来た点はものすごく対照的だ。言うなれば、失敗してそのままだった穂乃果がにこで、失敗から立ち直れたにこが穂乃果なのだ。

 にこが自分の過去を通して穂乃果を見ているのだとすると、13話でのにこの行動にも少し違った意味合いが付け加えられる部分がある。

 神田明神で、穂乃果と分かれる際に、にこりんぱなはこう言い残している。

 

「今度、私たちだけでライブやろうと思ってて。もしよかったら」

「穂乃果ちゃんが来てくれたら盛り上がるニャー」

「あんたが始めたんでしょ。絶対来なさいよ」

 

 12話からつづくことりを送り出すライブ発言と同様、13話でのラストライブシーンを予期させるものだが、この発言がにこ主導で行われたということに意味がある。直前に、にこはアイドルのことを、そしてそれに絶対といっていいほどついて回るライブのことを何と言ったか。繰り返しになるが引用する。

 

「にこはアイドルが大好きなの。みんなの前で歌って、ダンスして、みんなと一緒に盛り上がって、また明日から頑張ろうって、そういう気持ちにさせることが出来るアイドルが、わたしは大好きなの!」

 

 この発言こそ、にこの中にある理想のアイドルの形だ。つまり、にこの中では、アイドルとは人に元気を与える存在なのだ

 それは自身が行うスクールアイドル活動にだって適用されるはずで、にこもそういった風に振舞っているのだろう。

 にっこにっこにー

 と、そう考えていくと、にこりんぱなを結成した理由に新たな理由を見出すことにも繋がる。

 『にこりんぱなを結成した理由は、アイドルが好きでμ´sがなくなっても活動を続けようと思ったから』

 たしかにそれがもっともな理由だろう。

 しかしそれだけではない。にこりんぱな結成はそれだけでは成り立たない。なぜって、にこは、アイドルが好きという熱量だけで活動が続けられる人間ではないのだ。

 そんな人間だったならば、穂乃果たちと出会う前に一人ででもアイドル活動をやっていないとおかしいのだ。にこの持つアイドル意識の高さを否定する気はもちろんないし、それがあったからこそ、矢澤にこというキャラクターは13話において、非常に重要な役割を果たすことができたのだ。

 しかし、アイドルへの情熱だけでは活動にはつながらないことは、にこの過去が証明している。

 では旧アイドル研究部が解散したときにはどうして続けられなかったのか。そしてμ´sが休止したときにはなぜ続けようとしたのか。前者と後者の違いはなぜ起こったのか。

 思うに、にこがアイドル活動を続けようとする要因はアイドルへの情熱以外に二つある。

 一つは仲間であり、友達だ

 旧アイドル研究部のメンバーがいなくなったときは続けられなかったのに、今回続けられた理由の一番わかりやすい違いは、そこだ。一人ではない、という心強さ。同じ目標に向かって歩いてくれる友達がいるという安心感。にこの本当に欲しかったものの項で述べた『にこは旧アイドル研究部のメンバーが辞めた後は特に活動はしていなかった。その理由は一緒に夢を見てくれる仲間がいなかったから』という結論は以上が論拠となっている。

 そして、もう一つの理由、それこそが、これまで長々と語ってきたにこの本質であり、13話でにこりんぱなを結成して、にこがやりたかったことだ。要するに、にこのアイドル観の根底をなす考え方だ。率直に言ってしまえば、13話でにこが目指したのは、人を楽しませることが出来るアイドルという目標の実践だ。

 もっとわかりやすく言うと、にこは自分のアイドル観を示すことで穂乃果を元気付けたかったのではないか。それがにこりんぱな結成に必要な、最後の動機だ。

 思い出してみてほしい。そもそもにこが最初に穂乃果に興味を抱いたのはいつだったか。おそらく3話だ。ことほのうみのファーストライブだ。観客が限りなくゼロの舞台で踊る3人を見て、にこは衝撃を受けたのだろう。μ´sに対する嫌がらせはそこから始まっている。穂乃果たちのステージから受けた衝撃は並大抵のものではなかったに違いない。

 13話はその逆だ。

 今度はにこが、精一杯のパフォーマンスを見せて、穂乃果に元気になってもらう。

 少し憶測が過ぎるとは思うが、にこが抱える理想のアイドル像やこれまでの経緯を考慮すると、そう考えていても不思議ではない。

 もっとも、その試み自体は穂乃果が立ち直ったことで不要になったが、にこが抱いた『お客さんを楽しませる』という想いはラストライブ間近で声高に主張される。

 

「今日みんなを一番の笑顔にするわよ!」

 

 このシーン、実は10話のシーンとの対比になっている。10話では、これから合宿にむかおうという駅で、絵里からひと言を求められている。その時はぐだぐだだったにこだが、13話では見事に希からのフリに応えられている。

 形ばかりだった部長という肩書きが、やっとのことで自覚されてきたということなのかもしれない。

 

蛇足

 

 にこにー貧乏説について。*3

 たまにそういう話を聞く。 

 その話の根拠はどこからくるのだろうか。

 まず一つ目に、にこが料理上手という家庭的な側面を持ち合わせていることがある。合宿の時にそのスキルは遺憾なく発揮され、メンバー全員分の食事を瞬く間につくりあげてしまった。高校生女子の料理スキルがどんなものかはまったくの無知だけれど、女の子だから料理が出来るなんて前時代の設定は、ラブライブにおいては採用されていないことが同話からわかる

 真姫は料理なんてお抱えのシェフに任せていると言っていたし、ことりは調理に少し手間取っていたそうだ。これはアニメ外の情報だけど『no bland girls』についてくるラブカにはメンバーの料理事情が書かれていて、それによると結構壊滅的な状態らしい。もっとも、アニメ外の情報はアニメとの描写と食い違いがあるので、その情報はその情報と割りきりが必要だが。

 にこの家族構成は明らかになっていない。ラブライブ!(アニメ)のことを語るといっておきながらこれまたアニメ外の情報で申し訳ないが、他のメンバーの構成はある程度ファンブックに載っているのに対し、にこの家族構成は不明になっている。先の料理が上手という情報と家族構成が明らかになっていないという事実から、にこが家事の一端を担わなければいけない事情があるのではないかと推測されるのだ。別に親に問題があるとかだけでなく、兄弟姉妹たくさんだから家事がおっつかないとかそういう感じで。

 そして、にこから貧乏設定を匂わせるような描写はもうひとつある。

 漫画版ではにこは元々UTX志望だったが、入学金が足りなくて断念したという描写がある。

 ただ、こうして根拠を並べてから言うのもなんだけど個人的にはにこが貧乏だとは思っていない。

 なぜなら、先ほど述べた2つの根拠が正確性にかけるし、それらは状況証拠でしかない。そして、物的証拠はにこ貧乏説を明らかに否定している。

 部室に置いてあるアイドルグッズである。もしにこが貧乏だったなら、その資金はどこから出されているのだろうかという疑問が残る。まさか学校から提供されている部費ではないだろう。……たぶん。加えてにこは自身を着飾ることにも余念がない設定である。つまりファッションとアイドルという、クソほども金のかかる趣味をお持ちなのだ。

 貧乏だったらこんなもんやってられない。*4

 にこ貧乏説は根拠に乏しいばかりでなく、アニメ中の描写やキャラ設定と矛盾しているのだ。

『健気に頑張っているにこにーがもしも貧乏だったらさらに萌える』程度にとどめておくのがいいだろう。

*1:ことりの留学騒動は唯一と言っていい外部要因だが、それでも結局解決は外と向き合うことなく内向きで処理される。

*2:絵里の項であの嫌がらせは性格を考えると筋が通っていると述べたのはそれが論拠だ。

*3:この文章は2013年11月頃に書いたものです。にこドルダイアリー今日読みました。にこにー……。

*4:BD特典のブックレットにはビラ配りのバイトをしているところをりんぱなに見つかり、焦るにこが描かれていたが、それか。