kurk board

メモ用紙を貼っ付けるコルクボードです。主に感想・雑文用。感想系はネタバレあるんで注意。

魚の見る夢(小川麻衣子)雑感

 姉妹百合が生み出す背徳感を真正面から、家族関係の再構築と絡めて扱った傑作。甘甘やほのぼのな雰囲気はまったくないので、百合に癒しを求める人にはお勧めできないけど、「胃の腑にズシンとくる姉妹百合漫画が全然ないよ!」とお嘆きのあなたにぜひ手にとってもらいたい一作。

 近親相○を匂わせる描写もあるので――しかもこれ姉妹の間ではなく父娘で。さすがに肉体関係は持ってないだろうけど――、あまりおおっぴらにはお勧めできないけど、全体にただよう陰鬱とした雰囲気は好きな人はとことん好きになるはず。

以下ネタバレ読解。

 

 本作の中心人物は二人居る。姉妹である巴と御影だ。本作は、この二人の姉妹がさまざまな経験を通して、過去や自分と向き合い成長することで推し進められる。順に見ていく。

 

周防巴

 

 巴は姉妹の姉。母親が死んで形骸化した家族の形を続けたいという願望を持っている。そのため、母が死んで機能しなくなった家の中で、巴は何役もの役割をこなすのである。家族の位置づけとしては『姉』であるにも関わらず。あるときは、そのまま御影の姉として振る舞い、あるときは母として振舞う。そしてまたあるときは父としても振舞う。巴がやたらと父を敵視しているのは、父が御影に関係を持ったという過去があるほか、家族的な役割がかぶることを恐れる本能的恐怖による。

 

なぁ、あいつと俺、似てると思わないか? お前は母さん似だがあいつは俺似だ。髪質とか目元とか、思春期前の俺そっくりだよ。それなのにあいつ、俺のこと嫌って、俺にならないように生きてるんだよな……あいつの本質は俺なのに。(2巻p121)

 

 巴は御影のことになると時として苛烈になる。父の前で裸になっている御影を連れだそうと、父をイーゼルで殴り倒したりもする。巴はそうして自分が家族の役割を一手に引き受けることで、家族の関係を維持したいと願っているのだ。

 

巴の本質

 

 しかし、そんな無理がかかる立場には当然歪みが生まれる。

 巴は過去を見て在りし日の家族を求めている。だから、自分に、家族愛ではなく性愛で迫ってくる妹、御影を拒む。それはただ単に姉妹だから、同性だからという一般的に理解が容易な要因だけではない。実は、巴は性愛が何であるのかを解っていない。巴は、元同級生のナツオにこんな相談を持ちかけている。

 

人を好きになるって、何……? わからないんだ……人を好きになったことがない。(2巻p33)

 

 この後には、御影のことがわからなかったのは、その感情を知らないからじゃないか? それを知ってしまったらもう戻れないんじゃないかと続く。幼い頃、母を失い、家族を追い求めるあまり、巴は必死で家族を機能させようとしてきた。引き受けた役割を全うさせるのに必死で、それ以外では勉学を除いたほかのことにはあまり気を払ってこなかった。その結果として出来た人間が『人を好きになる事がわからない』周防巴だ。

 この『人を好きになることがわからない』という巴の性質こそが、この物語を通じて正されるテーマであり、また終盤において、御影に叱咤される要因となっている。ただしこの話は、ややこしくなるので後々にとっておき、今は巴の話を進めることにする。

 巴の内面についてである。

 では、巴はそれほどまでに守ろうとした家や家族といったものをどう思っているのだろうか。好きなのだろうか、愛しているのだろうか、ずっとそこに居たいのだろうか。

 いや、実はそんなことはない。本心では巴は家族からさっさと離れたいと思っている。わたしだけが、こんなに重荷を背負わされるのは、もうたくさんだと思っている。その証拠に、巴は初め県外の大学を志望していた。途中から、御影や九条の影響を受けて、県内の大学に変更したが、それまでは(だいたい一巻の終わり辺り)巴の志望は県外だ。巴は家族を機能させたかったが、実際のところは一刻も早く家から離れたかったのだ。

 この事実から考えられる巴の行動原理はこうだ。

 『在りし日の家族を求めているが、本音を言ってしまえばさっさと家をでて何役もこなすだなんて言う重荷から、重い過去から逃れたい。妹からも』

 巴は我慢した。不平を言わず、姉らしく御影を構い、母らしく御影の世話をし、父らしく御影を守った。しかし、実はほかでもない自分のためにやっているのだということを幼い御影にすら見抜かれている。

 

そのうちわかることがあった。この人が泣き言を言わないのは、私の面倒を見るのは自分を守るためだった。ショックだったけど、そんな姉のことを嫌いになれなかった。(2巻p17)

 

 姉と母と父を演じてきた巴にはそのベースとも言っていい、基本的に演じてきた役割がある。それは『いい子』だ。巴は、『いい子』を演じることで、家族の中から誰にも怒られず、また自由に動ける。巴は『いい子』になることによって家族から離れるという自分の行動を正当化しようとしたのである。

 

巴の外部環境

 

 さて、そんな幼少期を過ごしてきた巴だが、高校に入り、ようやく家族から離れられる未来が見えてきて、希望が持てるようになる。そして、巴は高校で一つの出会いを経験する。それは、巴のクラスメイト、九条だ。

 中学での同級生、ナツオは、巴のことを見ていられなかったと評した。巴は、壁を作ってなんでも一人でやらなきゃって感じで余裕がなくていつ折れるかと心配だった、と。その印象が、高校で多少なりとも緩和されたのは、ほかでもない九条その人の影響だ。

 では、巴は九条との関係の中で何を見出したのか。巴は、九条のことをこんな風に語る。 

 

九条はあんまり干渉してこないし、ずっと話を聞いてくれるからつい話しすぎてしまう。

(2巻p48)

 

 巴は高校で九条と過ごす空間に心地よさを感じている。九条は巴の言っていることによく耳を貸すし、巴はそんな九条にたびたび甘えてしまう。九条は、巴にとって都合のいい空間を提供して、ただそばに寄り添って支えてくれる人間だ。こんな関係、どこかで聞いたことがないだろうか。そう、実は、九条との関係こそが、巴が求めている理想の母娘関係なのである。家族機能を維持するために、一人何役も演じなければならない巴は、実は、家から離れて安心できる空間を作っていたのだ。それが、九条との擬似家族関係である。巴は、その関係に安住する。ひたすら九条に依存しようと寄りかかる。九条こそが、私を解ってくれる人間だとその関係にすがりつく。そして、同じ大学にまで行こうと、完全に九条に寄り添ったとき、手ひどい裏切りにあう。九条は巴の目の前で、大学の願書を、『目の前に迫った明るい未来への切符』を破り捨てたのである。そしてこう告げる。

 

 愛する誰かとずっと一緒にいられるなんて幻想よ。どこかで幻滅して……終わりがくる。それに、恋愛って成就する直前が一番美しいと思わない? お互いの気持ちがつながって……二人の扉が開くの。私はその瞬間を心に刻み込んだだけ。

(2巻p110) 

 

 九条の行為は、巴の側からしてみれば、未来の死亡宣告であり、愛する擬似母の裏切りだった。そうして、逃げようとした過去からも、向かおうとした未来からも締め出された巴は、行く当てもなく町をさまよい、最後には、結局、御影にすがりつくのだ。

 

巴の原罪

 

 巴は、父の手から御影を取り戻し、そして泣き喚く。まるで母から怒られかんしゃくを起こした幼児のように。

 

 私が何か悪いことした? 私はただがんばろうって……ずっと思ってて……それで必死になってずっと生きてきて……ほかは何もないのに……いいじゃないかぁ……。

仲のいい家族……仲のいい友達……それでいいじゃないか。なんでそのままでいてくれないんだよ。安心するのに……大切なのに……なんで壊そうするんだよ。(2巻p130)

 

 そんな巴の泣き言を聞いた御影は反発する。何がいけなかったのか、どうしてそんなにつらいのか。それは巴が、自分の中の理想像を周りに押し付けているからだと*1

 つまるところ、巴が本当に向き合うべきなのは、母を失ったつらい過去でもなく、自分が思い描いた理想的な未来でもなく、現実を受け止めようとせずに偽りの役割りを演じ続ける自分だということだ。現実を受け止めたうえで、周りに自分の理想像を押しつけなければいいと御影は巴に告げた。巴が人のことを好きになったことがないという事実も、自分のことだけを考えていたからだ。周囲に自分の理想像を押し付け、本当の相手をみていなかったからである。お互いに本音をさらけ出し、巴と御影は積年の想いをぶつけ合い、そしてやっとのことで、落ち着きをとり戻した巴に御影は言うのだ。

 

これからだってそばにいてやれるわよ。『妹』かどうかはわからないけど。私のこと……受け入れてくれる?(2巻p140)

 

 今までの古い関係を捨てて、新しい関係に向かうための告白だ。しかし、巴には、まだやることがある。九条へのケリをつける。そして話は最終話へとつながっていく。巴の変遷はこれで終わり。最終話へと入る前に次は御影の話。

 

周防御影

 

 御影は、母が死んで、家族の中での自分の立ち位置を見失っていた。それは、主に父が原因だ。母の面影を色濃く残す自分の娘である御影に、父はすがりついた。自分の娘ではなく、自分の配偶者として接した。そのせいで、御影は息苦しさを感じたるようになったのである。そこで手を差し伸べてくれたのが、姉である巴だ。御影と巴の関係は、夏祭りにて暗示されている。幼い御影の目に巴はこう映る。

 

ああなんてきれいなめをしているのかしら。このひとならだいじょうぶ。このひとのそばにいよう。そうすれば私もこの世界の中で生きていけるかもしれない。(1巻p136)

 

 息苦しい世界の中で、御影はすがりつく手を見つけたのだ。しかし、ある日、巴の本質に気づいてしまう。巴が、姉として、母として、父として振舞っているのは、現実を見たくないがためにやっているのだということを。自分を、自分の理想を守るためにやっていることだということを。そこには、妹である自分のことは勘定に入っていないのだということを御影は見抜く。そして、この家から、家族から、自分から逃げようとしていることにも。そこからは巴を家につなぎとめるための戦いの日々を、御影は送るわけである。

 家族は、物心ついたときには崩壊していた。だから御影は自分が知っている範囲の愛で巴をひきつけようとする。父から与えられた、家族愛とはまた違う、別種の愛によってだ。

 

 私はただの仲がいいだけの姉妹に戻りたくないの。(中略)巴だってもうあの頃の巴じゃない。昔には帰れないしもう止まれない。好きだよ巴。好き。大好きだよ。巴……。(1巻p40)

 

 巴に並々ならぬ執着を見せる御影。そんな御影側のキーパーソンが、高柳だ。御影は、夏祭りの夜に巴に迫ったが拒否されたことにイライラを募らせ、勢い余ってキスしてきた高柳と関係を持とうとする。しかし。最中に突然泣き出した高柳によってその行為は中断される。高柳は気づいてしまったのである。御影がどういう思いで自分を抱こうとしたのか。

 

何かちがう……。(2巻p63)

 

 そう言って泣き崩れる高柳を見て、御影は悟る。周りに自分勝手な理想を押し付けていたことを、周りに自分勝手な好意を押し付けていたことを悟るのである。そして人に思われることがどれほど責任の重いことなのかということを。人に思われる――つまり、自分に想われている巴の心情に、御影は気づいたのである。この時御影が悟った事柄は、後の巴との言い争いの中で吐き出される。

 

 私も自分のことしか考えてなかった……友達をすごく傷つけた。自分の好意の押し付けだけじゃ本当の友達にすらなれなかったのに……。(2巻p134)

 

 ここで巴の項を振り返ってみると、御影の変遷と似たような共通点が見えてくる。巴は御影から、御影は高柳との行為で悟った、この息苦しい物語から抜け出すための行動、考え方。 それは、結局のところ『過去にはつらいことがあったけど、そのつらいことや現実から目をそらさずに、ありのままの今を受け入れよう』という考え方に落ち着く。この話では、巴より御影の方がその考え方に早く気づく。その考えを巴に教え、御影は巴を引っ張り上げるのだ。

 九条から裏切られた巴に引っ張られ、御影が夜の街を走っているときのことをもう一度考えてみよう。御影は道中で高柳を見つける。高柳も御影に気づく。その一瞬ですべてを見抜いたかのように高柳は叫ぶ。

 

今度は、御影の番だよ!(2巻p127)

 

 この台詞が何のことを指しているのかということは、高柳の心情を追っているだけでは理解できない。なぜかというとこの台詞は多少メタ的な視点を含んでいるからだ。今度は御影の番、というこの台詞は、高柳と御影が関係を持とうとしたあの夏の日と、そして、巴と御影が幼い日に訪れた夏祭りにかかっている。夏祭りのシーンは、幼い日の御影と巴の関係性を暗示したシーンだとは前に述べたとおり。息苦しい世界の中で御影は、巴に手を引かれることによって、光を見出したのだ。だから、今度は、巴の番だと高柳は言うのだ。遠い過去に家族に裏切られ、そして今しがた無二と思っていた親友にも裏切られ、息苦しさのあまり窒息しそうになっている巴を、今度は御影が手を引く番だと高柳は伝えているのである。その結果は読んでの通り。御影は巴に告白し、巴は御影を受け入れる。そしてハッピーエンド。と普通の話ならば行くところだが、まだ終わらない。巴は、まだ終われない。胸のうちに九条からかけられた呪いが、傷が、残っているからだ。

 

旅立ち

 

 九条がやろうとしていたことは、永遠を一瞬に閉じ込めることだ。九条は変化をよしとしていない。九条はネガティブなものだって、ポジティブなものだっていずれは変わっていくのだから、人の関係なんてまやかしみたいなものだと告げる。でも巴のことは好きだ。愛している。だから、九条は一計を案じる。巴にとって心地よい空間をつくり、完全に依存させたうえで、手ひどく裏切る。そうやって巴に深い傷を負わせ、過去に閉じ込めようとしたのである。擬似母娘関係におぼれていた巴にとって、また家族を失くして多数の役割を演じようとしていた巴にとって、それは過去の傷の再来に他ならない。九条は、巴がその傷を一生引きずって、永遠にこの裏切りのことを気にかけ、過去から動き出せないように仕向けたのだ。それは呪いだ。ずっとそのままである呪い。変化に抵抗しようとする呪い。九条の存在は、変化していこうとする二人の姉妹の物語に最後の障害として立ちはだかるのだ。しかし、御影との言い争いで立ち直った巴はどうにかして九条の呪いを解こうとする。

 季節は一気に飛び、冬から春になる。紙面をかざる色彩も重苦しい冬の背景から桜舞い散る春のそれへと変化する。卒業の季節だ。旅立ちの季節だ。そして最終話自体も卒業や旅立ちといった面が強く打ち出された話となっている。巴は卒業式で九条からの旅立ちを行うのだ。九条に『さよなら』と告げ、目の前で妹を紹介することによって。それは、巴にかけられた呪いを解く儀式であり、新たな関係を御影と作っていくことを示したということでもある。

 そして巴と御影の行く末を邪魔するものはもう何もなくなり、過去の家族の崩壊も、九条の呪いも、吹っ切った二人は、旅に立つ。新しい関係で、新しい世界を旅するための、今までにさよならをするための『卒業旅行』なのだ。

 最後に九条に関して言えば。

 一瞬を永遠に閉じ込めようとした九条にも変化の兆しが見られる。巴にさよならを告げられた九条は、ナツオとであい、そこで互いの心情を吐露する。

 

 残念だったな! お前の思い通りにはいかなかった。 お前はこれからずっと誰とも幸せになれずに一人ぼっちで生きていくがいいよ!(2巻p157)

 

 九条はその台詞に対して、どうかしら? とひと言返すのみだ。九条は、巴を自分のものにしようとしたことが失敗したということを悟っている。出来なかったのだ。自分の夢はかなわなかったことを、九条は知っている。そして、巴に告げられた言葉が頭の中でリフレインする。

 

 結局九条のことは最後までわからずじまいだったね……。(2巻p148)

 

その次に九条が放った台詞、『果たしてそうかしら?』の次のコマには、一瞬だが、航空機の絵が挿入されている。これは企てが失敗したことを悟った九条もまた、『新たな旅立ち』へと向かっていくことを示している。その行き先はさっぱりわからないが、九条にも多少の救いはあるのだろう。

 

エピローグ

 

 巴と御影の旅の行き先は誰も知らない。高柳ですら「さぁ、どこ行ったんでしょう」というくらいだし、父に関してはうらやましがっているだけ。それも無理な話ではない。二人のこれからは二人で作っていくほかないのだから。当人たちにもわからないことを部外者が知る由もない。

 エピローグでは、そんな二人のこれからが示されている。

 雪が降り始め、寒いよ戻ろうといった巴に対し、御影はもう少しこのままでと、寄り添うところで物語は終わりを迎える。紙面から受ける印象は、最終話に比べるとだいぶ暗く、頼りない感じである。心もとない。少なくとも明るい感じは受けない。それでは、二人の行く末は、明るくはないのだろうか。

 いや、そうではない。逆だ。二人はもう大丈夫なのだ。

 なぜならば、そんな暗い紙面の中でも、最期のコマに注目すると。二人で行った水族館で買ったお土産は、今もすくすくと育っているのがよくわかるのである。水族館は巴と御影の思い出の場所であり、在りし日の平和の象徴である。水族館のお土産は、在りし日の幸せ、そして二人のこれからの暗喩なのである。

 明るいことばかりではないだろう。

 けれど、つらいことばかりでもない世界の中で二人は生きていく。

 大気にだって重さがある。そんな海の底のような息苦しい世界。この物語は、息苦しさを感じながらも寄り添って生きることを選んだ、魚の見る夢なのだ。

 

魚の見る夢 (1) (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ)

魚の見る夢 (1) (まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ)

 

 

*1:この点の詳細は御影の項で記載するのでここでは詳しく述べない