ゆりかごの乙女たち(みよしふるまち)雑感
百合という語源をwikipedia先生で調べてみると。
語源は1970年代、男性同性愛者向けの雑誌『薔薇族』編集長の伊藤文學が、男性同性愛者を指す薔薇族の対義語として、百合族という言葉を提唱したことによると言われている。
――wikipedia 百合の項目より引用
と、あります。
1970年代というとおよそ40年前なのでそんなに昔からということでもないことがわかります。
しかし、百合の源流とも言える文化が、女性の社会進出が活発になった大正時代頃からあったそうです。
聞いたことがあるという方もいるでしょう、女学校で培われた(らしい)エスという関係です。
早い話が、『マリア様がみてる』に出てくるスールのような、姉妹制度のことです。この漫画は、そのエスを取り扱った物です。
こういうと結構お堅いものだったり、古めかしいものだったりという印象を受けるかもしれませんが、身構えることはありません。
漫画そのものは、百合でよくある学園ものをアレンジして大正風味を付け加えたもので、その時代の知識がなくても読めますし、キャラクターにいたっては現代的な考え方や精神を持っているので戸惑うこともないでしょう。
ただ、大正時代という時代背景もあって、百合的な観点からみるとハッピーエンドではありません。
この辺、時代背景を大切にしたともいえ、また、この漫画を諸手をあげて百合物として推せないところでもあります。
百合に儚さを求めている方、ハッピーエンドじゃなくても感情がきちんと描かれていればいいという方、花物語(吉屋信子)や乙女の港(川端康成)に「興味があるけど少しとっつきにくそう」と感じてる方、エスに興味はあるけど「あ、俺これはちょっと無理だわ」とそれらの文庫本を表紙でギブアップした方に、このあたりの時代へ興味を持つためのとっかかりとしてオススメの一作。
以下、ネタバレ感想。
いやー実に惜しい。
っていうのが、読み終わった後、真っ先に出てきた感想です。
もっとこの漫画を読んでいたかったと思いました。
たとえば、環と雪子の、一年生と二年生の間にあったエピソードとか読んでみたい。
何の変哲もない、二人が笑い合ってるだけの話や仲を深め合うエピソードを。
たとえその先に待っているものが、別離による終焉であっても、夢のような時間の終わりであっても、環と雪子が幸せそうにしている場面をもっと見ていたかったなというのが本音です。
一年生の時に友達になったあと、いきなり二年生まで時間がすっ飛んでいるのは残念でした。
結果的に、この話は、雪子が婚約し、環が家の事情で学校をやめるという形で幕を閉じます。
百合的に言えば、あまりよろしくないエンドです。
しかし、個人的に言えば、ハッピーエンドが描かれなかったという事実を補って余りあることがこの漫画では描かれていたかなと思います。
以下の引用は、下級生とエスの関係にある絹子のセリフです。
私たちはみんな承知してるの。
自由でいられるのは今だけなんだって。
だからせめてその間くらいは美しく優しい夢だけを見ていようとしてるんじゃない。
どうしてそれがわからないの?
どうして夢がずっと続くなんて思い込めるのよ。(p.135)
『夢はずっとは続かない』。
その主張はある意味正しいです。
当人が何もしなくても、時間は流れます。年は取っていくし、周りの環境だって変っていきます。
作中でも描かれていたように、景気の浮き沈みにより環が学校を辞めざるを得なくなることや、雪子に婚約相手ができたことがそれです。
そして、そのことは、絹子に主張されるまでもなく、環と雪子二人だって自覚はしています。
海軍将校との婚約が決まったのち、教室で寝ている環に対して語られる雪子の想いがこちら。
ずっとこのままでいたい。
……何も起きてほしくないんです。穏やかな気持ちのまま……。
与えられることも、喜ばれることもなくていい。ただそれだけで。(p.121)
『ずっとこのままでいたい』というセリフは変化に自覚的でないと出てきません。
では、その変化とは何でしょうか?
婚約相手が見つかったこと?
たぶんそれもあるんでしょうが、直前の絹子とのやり取りを考えると、少し違った意味合いが見出せます。
このセリフは、変わっていく自分の感情に対して言及したものでしょう。
雪子は自分の感情に自覚的です。
婚約が決まったことにより、というか男の出現によって恋愛的価値観を否応なく突き付けられることにより、雪子は感情に自覚を持つことになります。(百合ものでは友達→恋人のステップアップにこの手段が使われることが多い ex GIRL FRIENDS(森永みるく))
そして感情に自覚的なのは、もちろん環も同じです。
こちらが環の想い。
みにくい。
こんな気持ち、心臓から消してしまいたい。
いつからだろう?
いつからこんな風にあなたを想うようになってしまったんだろう?
隣にいられればよかった。
好きなものの話をして、時々価値観のちがいに驚いて、あなたの、桜の花のような唇が、私の名前を口にするだけでよかった。(p.156)
このことからもわかる通り、雪子と環は両想いです。
もうお前らさっさと告白してつきあってしまえよ! と思います。思いました。
実際にお互いが想いを吐露する告白のシーンは、あります。
雪子が、環のリボンを自らの手で解くシーンです。
ここでは、具体的に『好きだ』とか『愛している』という言葉が交わされるわけではありません。
しかし、この想いがただの友情に収まるものではないことを、雪子はセリフと行動で示します。
環に手を伸ばし、抱きつき、本音を言います。
そして友情の証としてプレゼントしたリボンを雪子自身の手でほどくことによって、自分が提案した交友関係を終わりにして、もっと先の関係へ踏み出したいということを、環に伝えたわけです。
このシーンにはぐっときましたね。
本当に……。
そして、後の顛末は読んでの通り。
二人はお互いの想いを確認できたものの、結ばれることなく、物語は終わりを迎えます。
繰り返すようですが、この話は『女の子同士が結ばれて幸せに』という百合もののセオリーからは外れています*1。
夢のような時間はいつまでも続きません。
二人の関係も変化に押し流されるように跡形もなく消えゆくのかもしれません。
ただ、それでも、二人が大事にしたいと思うものは確かにあったのです。
環と雪子がお互いの想いを確認したあと、それでも決定的な一線を踏み越えなかった理由。
それは、お互いが過ごし、あの頃とあの場所にたしかに存在した、夢のような『今』を大切にしたかったというささやかな願いだったように感じられました。
エスとは、心の在り処をどこに定めるかということ。絹子の言葉です。
だから、それでいいのだとそう思います。
あーでも、もっとこの漫画読んでたかったありきたりなハッピーエンドでいいからと未練がましいことを言って終わります。
ハッピーエンドだったら、こんなに惹かれることなかっただろうにね。
ああ、そういえば、今やってるNHK連続テレビ小説『花子とアン』も田舎に住んでいた女の子が女学校に入ってどうだこうだ物語への情熱が遠くにお嫁にいったお姉さまからの刺激にどうだこうだでミミズの女王っていう話でしたね。(あまりよく見ていない)
国の公共放送機関が後押ししているわけです。
これは、エスの時代が来てるんでない!?
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*1:この文章、このブログで百合漫画紹介してる時に毎回書いてる気がする……