『合わないこと』について分析すること
たまに文章について書かれた本を読みます。
人の心をつかむ文章を書くには~とか、読みやすい文章を書くには~とか、そういう本です。
で、何冊か読んできて、わかりやすくて一番タメになったなと思う本に、『好きな文章から表現の技術を学んでいくことも大事だが、まずは自分の嫌いな文章に注目すること』みたいな事が書かれてるんです。
ま、これ、『20歳の自分に受けさせたい文章講義(星海社新書)古賀史健』という本に書かれているんですけど。本自体は慣れていない人向けに長文の書き方を真っ当に解説したもので、結構読みやすいうえに、明快な論調で書かれているのでお勧めです。
それで、本の中に『書き手としての自分がどうありたいのか』を明らかにする方法の一つとして、自分の嫌いを深く掘り下げていくことが挙げられていて、ですね。
なるほど、と思いました。
この本では、『嫌いな文章』に限って書いてあるんですけど、それを文章にとどまらず、内容にも適用できないかなと思うわけです。
確かに、僕は今まで、好きなものの感想や分解なんかをやってきましたけど、嫌いなもの(合わなかったもの)に関しては、もう見向きもしないか、売れるような書籍やDVDだった場合は中古売買用のダンボールに入れてそのままということがほとんどでした。合わなかったものを再読してもなんの意味もないだろう、と。でも、そうですね、そういう突き詰め方もあるんだなと再認識しました。
この本を初めて読んだのは、たしか半年ほど前のことで、当時も「嫌いなものについて考える……か、いい考え方だ」という風に思ったはずなんですけど、全然実行されていないという驚くべき上昇志向のなさ!
そもそも、僕は読み手としては、致命的なくらい好き嫌いが激しいんです。『ここから先の展開が気にならなかったら読まない』とかいう凄く短気でわがままな読み手なんです。漫画だったら大抵一巻読んで、小説だったら五十ページほど読んで、アニメだったら一話見て、そこから先が気にならなかったらすっぱり切ります。まぁ、読むのが遅くて、文庫本一冊五時間くらいかかるからという理由があるからなんですけど。
でも、『自分に合わないからハイ終わり』じゃ、やっぱり、何にもならないなとも思います。それを、なぜなのかと考えることは、たしかに重要。
好きなものの分析もいいけど、詰まったときにいつもとは異なるアプローチを取るというのは、とても有効です。合わなかったものをそのままダンボールにつめてバイバイする前に、ぱらぱらページをめくって『どうして合わなかったのか』ってのを考えていくのも必要だなって思います。
もちろんオフで。ブログに公開なんてするわけがない方向で。
……うん。時間のあるときに。
やってい……けたら、いいなぁ。