電撃G’sマガジン2014年5月号のSSCに見る『公野流ほのにこ考察』
考察とか書いてありますが、ほのにこ信者の妄言です*1。
今月のG’sマガジン。
secret short cuts 略してSSCという公式カップリングのお時間がほのにこだというので慌てて買ってきたのですが、――あとラブライブ! 情報盛りだくさんだったから――なるほど、このシチュは興味深いですね。
簡単に説明すると『桜満開の中、にこの手を取って新入生歓迎ライブへと向かう穂乃果――が見る夢』ってシチュなんですけど、これ色々おかしいですね。夢なんで辻褄が合ってないのは当たり前なんですが。そこをあえて突っ込んで、矛盾を浮き彫りにしたうえでこのSSCが何を主張したいのかをねつぞ……考えていきます。
まず第一に、春なのに三年のにこがいるのはおかしいです。アニメでもそれ以外でもスクールアイドルを始めたのは、穂乃果が二年、にこが三年の時です。そこから廃校阻止を目的にしたわけですから、季節が巡ればにこは卒業してしまいます。だから廃校阻止を目的にしているのにもかかわらず、それが叶う叶わないにせよ「にこは新入生歓迎の場にはいられない」という事実に反しています。*2
そして第二に、これって、穂乃果が手をひいてる人物って、にこである必要ありますか? 廃校阻止が叶って新入生歓迎ライブに向かう。廃校阻止に尽力したμ’sメンバーであれば、誰もがこのシチュで手を引かれてていいわけです。それこそ、幼馴染み’sでも一年生組でも、にこ以外の三年生でも、誰でもいいんです。このシーンで穂乃果に手を引かれているのがにこである必然性が思いつきません。
さて、もっとこじつけ……精査すればおかしいところはまだ出てきそうですが、ぱっと見ではこんなところでしょうか。
では、このおかしいところはどうして出現し、どういった意味を持っているのでしょう。
その謎を解くカギは、このシチュは穂乃果の夢であるという事実に隠されています。
夢とは潜在意識の表れであるという説がありますが、その説に基づいて読み解けば、このシチュは穂乃果の願望であると言い換えることができます。
こう考えてはどうでしょうか。発想の転換です。
先に挙げた二つの矛盾点こそ、穂乃果にとって重要な点なのです。
『矛盾点そのもの』をおかしいと考えるのではなく『必要があるから矛盾が起こった』と考えるのです。つまりこうです。
客観的に見ればおかしい、二つの矛盾点こそ穂乃果にとって必要なことだったと。
だから矛盾を起こしてまで夢で見た、と。
さーて無理のある論理展開に入ってきましたが突っ走ります。
そう考えると、このSSCの中で、穂乃果が必要としたことは、「季節が巡ってもにこがいること」と「夢をかなえた時に側にいてほしいのはにこ」だということです。
実際、このSSCを、穂乃果はこのコンテンツにおいてとてもなじみのあるセリフで締めます。
叶え、私たちの夢――。
だから、このSSCでのテーマというか、主張というほどでもないコンセプトは次のことを提示しているのです。穂乃果にとってのにこはずっと一緒に夢を見て側をあるいてくれる人だということを。
昔の人は言いました。
『愛とはお互いに見つめ合うことではなく、いっしょに同じ方向を見つめることである』、と。
まぁ、この妄想も2期で全部ぶち壊されるんですけど、深読みっていくらでも出来て楽しいよね。
あ、あと2期の番宣見ました。
やだ……すごく面白そう。
もうなんか、ハードル下げまくってる僕がバカみたい。
まぁね、でも、期待しすぎるとアレだからね。こうガックリくるからね。うん。
普段アニメは前情報をできるだけ入れないようにしてるんですが、――そのアニメを見る前にくだらない先入観をもってしまうから――気になるアニメの2期だと仕方ないですね。仕入れてしまいますね。
と言っても特に偏見なく春アニメの1話はいろいろ見ていこうかと思います。オリジナル中心に。
というか。
なんで2期でこんなにわくわくしてるのかと思ったら、そうか。
BD買うくらい好きになったアニメの2期ってこれが初めてだっていうことに気づきました。劇場アニメになったのはあったけど、振り返ってみても気に入ったアニメで2期続いたのって本当にないな……。あとは滑らないことを祈るだけです。