ラブライブ! 2期4話の感想 補足
前回の記事「ラブライブ! 2期4話見たので感想」についてですが、あれ寝起きに、ばばっと書いてそのままあげたんですよね。
で、あとから読み返してみると、椅子から滑り落ちそうになるくらい意味不明だったので、補足しておきます。
あの感想で何が言いたかったかというと、ひと言でいえば「アニメ版4話は、school idol diary 矢澤にこ編(以下sid)とアニメ版のにこ、その両方のヒストリーの結果を書いた話では?」ということです。
まず、sidとアニメを一緒くたにして語る是非についてです。
sidとアニメでは、設定に違いが多いことや、何の描写を重視しているか*1に違いがあることから、ラブライブ! という名前ではあるものの、同じ舞台で話が展開していないものだと考えていいでしょう。メディアによって設定やキャラクターの特徴すら統一しないという方向性は、G’s読参企画の伝統です。言ってしまえば、ラブライブ! の名前を冠しているからと言って、別物であるsidとアニメを関連づける必要は全くないのです。本来ならば、一緒にして語ること自体、ナンセンスです。
では、どうして今回の4話に限ってわざわざ関連付けてしまったかというと。
矢澤にこの家族、こころとここあが出てきたからですね。
あの姉妹の登場を、ファンサービスであるという理由以外に見つけるとすると、sid既読者にsidのエピソードを連想させるためだったのではないかと思います。
さっき、sidとアニメを関連付ける必要はないと言ったばかりで申し訳ないのですが、実は、矢澤にこ編以降のsidには、アニメの展開を暗示しているかのような話があります。東條希diaryでオープンキャンパスに行った話(卒業を示唆)や絢瀬絵里diaryでの穂乃果と生徒会長を結びつけるような話があります。実際、アニメ2期では卒業を扱うようになりましたし、穂乃果が生徒会長になりました。別物だとはいえ、sidでは、『ほのめかす』という程度にはアニメ2期との関連付けがなされているのです。
アニメ4話でも矢澤姉妹が出てきたことによってsidで描かれたエピソードとの関連付けがなされたのではないか、と考えました。
ただし、アニメとsidは完全に同一世界ではないわけです。アニメのにこは集合住宅に住んでますし、sidのにこにはスクールアイドル部での挫折の経験はありません*2。虎太郎の存在に意味を与えるとすれば、アニメ4話とにこsidを完全に同一視してしまうことを防ぐための、ストッパーだったのではないかと思います。こころとここあのクレジット表記がひらがなでなく、ココロとココアだったのもそういう意味ではないでしょうか。
僕の考えとしては、こうです。
アニメ4話では、sidを踏襲したエピソードだと関連付けるためにこころとここあを出したけれど、完全に同じことをやるわけではないので同一視されては困るから虎太郎をだした、と。そうすることで、アニメ4話は、sidのエピソードを下敷きにしつつ、ある程度の独立性を保てるわけです。
それでは、わざわざsidと関連付けてまで、アニメ4話でやりたかったこととは何か、というと。
まぁ、これは、前回の記事からの引用になりますが、『過去の自分からの脱却』です。
sidでは小悪魔を演じつつ、その奥では幼少期からのアイドルへの憧れから、μ'sメンバーにすら素顔を見せないという風に。
アニメでは、過去のスクールアイドル挫折の経験から、自宅で自分とμ'sメンバーの関係を偽っていたという風に。
それらをやめるという話だったと読みました。
sidでは、μ'sメンバーに看病されて、自分のμ'sに対する気持ちを自覚するというところで終わっていますが、アニメではそこからもう一歩進んで、行動で周囲に対する態度の変化を描いたのではないでしょうか。sidでは描かれなかった(あるいは意図的に描かなかった)先の話という意味です。
つまり、sidのにこも、アニメでのにこもひっくるめて、過去の自分を卒業するという宣言をライブにて行うという筋だったのだと感じました。
みんなと一緒にという想いは、ラストのにっこにっこにーの直前、μ'sメンバーを象徴する風船が空高く舞い上がっていくシーンで視覚的にも補強されています。
「もう一人じゃないから、素直になって、これからはみんなと一緒にもっと上を目指していくよ(空へ羽ばたいていく)」ってことでしょうね。
これは僕がsidを読んでいたから、こういう風に受け取ったという話であって、sidを読んでいない人にはまた違ったように見えたのかもしれません。
というか、sidを読んでいなくても、「長いことひとりぼっちだったにこが、ちゃんと仲間と向き合うようになった話」として読めますし、無理にsidを絡めなくてもよかったかなとは思います。