ラブライブ! 2期5話で考える女の子っぽさ
2期5話で描かれたことは、『凛が自分のかわいいところを自信をもって受け入れる話』だというのは、『ラブライブ! 2期5話見たので感想』にて書きました。
で、そこで自信を持つきっかけとなったのが、μ'sメンバーが凛のことを『女の子っぽい、かわいい』と言ってくれたからだとも、その記事で書きました。
では、なぜμ'sメンバーは凛のことを『女の子っぽい、かわいい』と言ったのでしょうか。
別に、凛の女の子っぽさを否定したいわけではありません。ここで問題にしたいのは、「○○だからかわいい」「○○だから女の子っぽい」といった発言の根拠となる部分です。
かわいい、はまだいいでしょう。その人がかわいいつったらその人にとってはかわいいんです。
りんぱなは正義。
でも、女の子っぽいって?
なんなんですか、女の子っぽいって。
女の子っぽいってなんなんなんなんだよ!(困惑)
『女の子っぽい』発言の根拠はどこから出てきたんでしょうか?
残念ながら、その根拠がはっきりとわかる描写は5話中のどこにもありません。
これはもう、「お前らで考えろ」とのことだと思うので、凛のどの辺が女の子っぽかったのか、そして、女の子っぽさとは何なのかをごちゃ混ぜにして考えてみました。
2期5話で示された要素のみで、3つほど。
え? 凛がリーダーに向いている根拠?
いやいや、そんなもん誰かが考えてくれるし。
一応断っておきます。
これ二次元(しかもラブライブ! 2期5話)限定の話ですから。
現実と違うとか言われても困ります。
では、どうぞ。
女の子とは天真爛漫なものだよ説
元々の性格自体が女の子っぽかったという説です。
凛と言えば、その無邪気かつ奔放で自由な性格。踊れば楽しそうに飛び跳ね、ターンでも決めようものなら天然素材の笑顔が花咲きます。『μ'sの元気印』の名前は伊達ではありません。スクフェスのSRにもそんなのあった気がします。*1
そんな凛の日頃からのふるまいが女の子っぽいのではないかということです。
日頃自分がとっている行動なんてよくわからないもの。周りから指摘されて、初めて気づくのは珍しいことではありません。つまり、凛の場合は、花陽や真姫が日頃から凛のその行動を見ていて、女の子っぽいと判断したのでは? ということです。
花陽は2期5話に限らず、一貫して、凛のことをかわいいと主張します。
近しい人物の目は時として、本人が見過ごしていた思わぬ発見につながります。
そういった根拠に支えられている説です。
女の子とは着飾るものだよ説
今回のクライマックスは何だったでしょうか?
そうです、ファッションショーでのライブです。
このファッションショーでセンターを経験することにより、凛は自分の女の子らしさに自信が持てるようになりました。
ということは、つまり、2期5話における女の子っぽさの象徴は、服装だということではないでしょうか。
事実、2期5話において、凛が女の子っぽさに憧れるシーンがどこで示されているかというと、ざっと見て。
・花陽がドレスを着ているシーン
・暗い自室でワンピースをあてがっているシーン
この二つです。
お分かりいただけたでしょうか?
凛が持つ、女の子っぽさへの憧れはすべて、着飾ることによって表現されているのです。
加えて、ファッションショーでのライブが終わって、凛が屋上に姿を現すシーン。その時にはもう、凛は自分の女の子っぽさを肯定できているのですが、それは『私服でスカートを履く』という行為によって示されています。
女の子とは着飾るもの。
それがすべてではないでしょうが、ラブライブ! 2期5話において、ファッションは女の子っぽさの象徴としておおいに使われています。
女の子っぽさに憧れてるとこが女の子だよ説
女の子っぽさというものに憧れていること自体が、逆説的に女の子っぽいのではないかという説です。
ちょっと何を言っているのかわからない。そう思ったあなたは正しい。僕も何を言いたいのかわからない。
えーと、つまり、自分の女の子っぽさに自信がなくて、いじいじしたり、くよくよしたり、でも本当は憧れているという、その様子自体が女の子っぽいんじゃないかということです。
そもそもそんなことに悩んでいるのは凛だけです。μ'sの他のメンバーはそんなことには悩んでいないんです。
同じ憧れでも、アイドルにあこがれているにこや花陽とはまた違った憧れです。コンプレックス混じりですから。
女の子であることに自信を持っているメンバーの中で、そこに自信を持てない凛のいじらしさはひときわ目立つはずです。
結論
凛の性質、話の中で強調されていた要素、話のテーマといった観点から女の子っぽさってのを考えてみました。これ全部が正しいわけでもなく、また間違っているわけでもないので、何かのヒントになればいいかなと思います。
では、まとめとして、かわいい女の子を描くことに命を懸けているアニメーターさん、西田亜沙子さんが考える女の子っぽさをご紹介します。
ラブライブ! でもキャラクターデザインを担当されていることで有名ですね。
画集『jam』からの引用です。
少女という言葉がなんだか好きです。
これはどうにも実体のない言葉で、自分の持っている記憶というのはただのこ汚い「子供時代」なんであって、
そんなのはたぶん男の人の持つ小さい頃の記憶とそんなに変わりなく、
人とゆーのは「少年」である時代はあっても、少女であって時期なんてものをリアルに持っている人はおそらくいません。
なのになぜか人の頭の中にはそれぞれの「理想の少女」が心の中の遠い草原に立っていて、
誌や物語のなかにその相似形を見つけては憧れたり共感したりしているんだと思うのです。
――『jam』-plologue-より
結局、女の子っぽさなんて個人が思い描く夢なんだってことだよ!
*1:ちなみに僕はまだ未覚醒です。すみません。