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メモ用紙を貼っ付けるコルクボードです。主に感想・雑文用。感想系はネタバレあるんで注意。

ラブライブ! 2期5話で考える女の子っぽさ

 2期5話で描かれたことは、『凛が自分のかわいいところを自信をもって受け入れる話』だというのは、『ラブライブ! 2期5話見たので感想』にて書きました。

 で、そこで自信を持つきっかけとなったのが、μ'sメンバーが凛のことを『女の子っぽい、かわいい』と言ってくれたからだとも、その記事で書きました。

 では、なぜμ'sメンバーは凛のことを『女の子っぽい、かわいい』と言ったのでしょうか。

 別に、凛の女の子っぽさを否定したいわけではありません。ここで問題にしたいのは、「○○だからかわいい」「○○だから女の子っぽい」といった発言の根拠となる部分です。

 かわいい、はまだいいでしょう。その人がかわいいつったらその人にとってはかわいいんです。

 りんぱなは正義。

 でも、女の子っぽいって?

 なんなんですか、女の子っぽいって。

 女の子っぽいってなんなんなんなんだよ!(困惑)

 『女の子っぽい』発言の根拠はどこから出てきたんでしょうか?

 残念ながら、その根拠がはっきりとわかる描写は5話中のどこにもありません。

 これはもう、「お前らで考えろ」とのことだと思うので、凛のどの辺が女の子っぽかったのか、そして、女の子っぽさとは何なのかをごちゃ混ぜにして考えてみました。

 2期5話で示された要素のみで、3つほど。

 

 え? 凛がリーダーに向いている根拠?

 いやいや、そんなもん誰かが考えてくれるし。

 

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ラブライブ! 2期5話見たので感想

 もうね……ほんと、諸々がね、最高でしたね!

 僕が5話を最高だったと主張する理由は、テーマがわかりやすかったからです。

 つまり、5話の中心人物である凛の克服すべきところがわかりやすく示されていて、かつ納得のいく方法で問題が解消されていたということです。

 はい、ここから自己満足読解入ります。わかりやすかったんなら読解なんてやる必要ないのに、という声には耳をふさいで。アーアー! 聞こえなぁーい。

 

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ラブライブ! 2期4話の感想 補足

 前回の記事「ラブライブ! 2期4話見たので感想」についてですが、あれ寝起きに、ばばっと書いてそのままあげたんですよね。

 で、あとから読み返してみると、椅子から滑り落ちそうになるくらい意味不明だったので、補足しておきます。

 

 あの感想で何が言いたかったかというと、ひと言でいえば「アニメ版4話は、school idol diary 矢澤にこ編(以下sid)とアニメ版のにこ、その両方のヒストリーの結果を書いた話では?」ということです。

 まず、sidとアニメを一緒くたにして語る是非についてです。

 sidとアニメでは、設定に違いが多いことや、何の描写を重視しているか*1に違いがあることから、ラブライブ! という名前ではあるものの、同じ舞台で話が展開していないものだと考えていいでしょう。メディアによって設定やキャラクターの特徴すら統一しないという方向性は、G’s読参企画の伝統です。言ってしまえば、ラブライブ! の名前を冠しているからと言って、別物であるsidとアニメを関連づける必要は全くないのです。本来ならば、一緒にして語ること自体、ナンセンスです。

 では、どうして今回の4話に限ってわざわざ関連付けてしまったかというと。

 矢澤にこの家族、こころとここあが出てきたからですね。

 あの姉妹の登場を、ファンサービスであるという理由以外に見つけるとすると、sid既読者にsidのエピソードを連想させるためだったのではないかと思います。

 さっき、sidとアニメを関連付ける必要はないと言ったばかりで申し訳ないのですが、実は、矢澤にこ編以降のsidには、アニメの展開を暗示しているかのような話があります。東條希diaryでオープンキャンパスに行った話(卒業を示唆)や絢瀬絵里diaryでの穂乃果と生徒会長を結びつけるような話があります。実際、アニメ2期では卒業を扱うようになりましたし、穂乃果が生徒会長になりました。別物だとはいえ、sidでは、『ほのめかす』という程度にはアニメ2期との関連付けがなされているのです。

 アニメ4話でも矢澤姉妹が出てきたことによってsidで描かれたエピソードとの関連付けがなされたのではないか、と考えました。

 ただし、アニメとsidは完全に同一世界ではないわけです。アニメのにこは集合住宅に住んでますし、sidのにこにはスクールアイドル部での挫折の経験はありません*2。虎太郎の存在に意味を与えるとすれば、アニメ4話とにこsidを完全に同一視してしまうことを防ぐための、ストッパーだったのではないかと思います。こころとここあのクレジット表記がひらがなでなく、ココロとココアだったのもそういう意味ではないでしょうか。

 僕の考えとしては、こうです。

 アニメ4話では、sidを踏襲したエピソードだと関連付けるためにこころとここあを出したけれど、完全に同じことをやるわけではないので同一視されては困るから虎太郎をだした、と。そうすることで、アニメ4話は、sidのエピソードを下敷きにしつつ、ある程度の独立性を保てるわけです。

 それでは、わざわざsidと関連付けてまで、アニメ4話でやりたかったこととは何か、というと。

 まぁ、これは、前回の記事からの引用になりますが、『過去の自分からの脱却』です。

 sidでは小悪魔を演じつつ、その奥では幼少期からのアイドルへの憧れから、μ'sメンバーにすら素顔を見せないという風に。

 アニメでは、過去のスクールアイドル挫折の経験から、自宅で自分とμ'sメンバーの関係を偽っていたという風に。

 それらをやめるという話だったと読みました。

 sidでは、μ'sメンバーに看病されて、自分のμ'sに対する気持ちを自覚するというところで終わっていますが、アニメではそこからもう一歩進んで、行動で周囲に対する態度の変化を描いたのではないでしょうか。sidでは描かれなかった(あるいは意図的に描かなかった)先の話という意味です。

 つまり、sidのにこも、アニメでのにこもひっくるめて、過去の自分を卒業するという宣言をライブにて行うという筋だったのだと感じました。

 みんなと一緒にという想いは、ラストのにっこにっこにーの直前、μ'sメンバーを象徴する風船が空高く舞い上がっていくシーンで視覚的にも補強されています。

 「もう一人じゃないから、素直になって、これからはみんなと一緒にもっと上を目指していくよ(空へ羽ばたいていく)」ってことでしょうね。

 

 これは僕がsidを読んでいたから、こういう風に受け取ったという話であって、sidを読んでいない人にはまた違ったように見えたのかもしれません。

 というか、sidを読んでいなくても、「長いことひとりぼっちだったにこが、ちゃんと仲間と向き合うようになった話」として読めますし、無理にsidを絡めなくてもよかったかなとは思います。

*1:アニメではsidやコミックに見られる郷土愛が抑え目だし、逆にsidではアニメに見られるストーリー性が抑えめ

*2:幼少期、劇団に入っての挫折はあるみたいです

ラブライブ! 2期4話見たので感想

 いい感じに『school idol diary 矢澤にこ編』(以下sid)の要素をアニメ用に昇華させた回だったかと思います。

 どういうことかというと、それはsidでは描かれていなかった矢澤にこの、周囲に対しての態度の変化が描かれていたからです。

 ちょっとここでsidのおさらいです。

sidでは矢澤にこは本当の自分をひた隠しにする性質があるということが描かれていました。バストサイズのサバ読みから始まり、自分の家を知られたくないからと穂乃果たちから逃げたり、そういえばブログでμ'sメンバーをダシにして自分の引き立て役にしてたりもしましたね。こう書くとすごく下衆いですけど、『03章にこにこにー』を読めば、原因はアイドルへの憧れと、それにいまだ見合ってない自分とのギャップを埋め合わせようとしているところにあるのだなという風に読めます。

 最終的に、sidでは、にこは風邪をひいてしまって、心配したμ'sメンバーに看病され、心の中でメンバーのことを大切に思うというところで終わっています。

 アニメ4話でも似たような筋で話が進んでいきます。

 μ'sメンバーから逃げるのも、本当の理由をなかなか言わないのも、家に押しかけられるのも、そしてラストのライブをμ'sメンバーにお膳だてされるのも、だいたい似たような展開です。

 ただし、sidであった幼少期からのアイドルへの想いの代わりに、旧アイドル研究部での挫折へと焦点が当たっているのが、アニメ版ならではです。実際、過去の挫折の影響で自分を偽らざる得なくなっていることは、希と花陽の口から語られる通りです。

 それでは、その問題に対してアニメ4話ではどういった解決策を用意されたのかというと、それは、にこが自分から気持ちを吐露するための場、つまりラストのソロライブです。

 今までついてきた嘘をやめ、一人で頑張ることをやめ、これからは周囲のみんなと一緒に頑張っていくことを、にこは宣言します。

 あれはそのためのライブなんですね。

 過去の自分をおしまいにするための、そして宇宙ナンバーワンアイドルにこにーの、『卒業』ライブというわけです。

 アイドルの卒業にライブはつきものですから。

 ああ、そういえば、僕は過去記事でにこに向かって「アイドルが好きなら一人でやりゃあいいのに」みたいなこと書いたんですけど、やってたんですね。

 スクールアイドル。

 一人で。

 うわーすごいですね。

 ……………………。

 俺、先輩のことマジなめてました! ほんっとスンマセンっしたぁ!

 

 はい、ここからカプ話注意。

 

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ラブライブ! のファンブックっぽい本まとめ

 ラブライブ! には「これ一冊読んどけば大丈夫」と言った、特定のファンブックはありません。

 しかし、好きになったものはとことん知りたくなるのが人間の性。

 というわけで、ラブライブ! の設定や舞台裏、制作側の情報が載っている本をまとめてみました。

 

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ノイタミナアニメ『C』ネタバレ読解

 ネタバレなし紹介は以前に書いたので

http://flsjny.hatenablog.jp/entry/2014/04/20/193443

 しょっぱなからネタバレ

 経済学説的にどうだこうだ書くのはあまり意味がないと思うので(そして例によってそんな知識はない)できるだけ経済的観点は除いたのでその手の知識は持っていなくても読めると思う。

 

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ラブライブ! 2期3話見たので感想

 いやーよかったですね。

 アライズとミューズの新曲・新映像もさることながら、穂乃果とツバサ、両アイドルグループのリーダーの邂逅にすごくわくわくしました。

 2話予告でアライズがちらりと映っていたんで、もしかしてついにアライズが関わってくるのかな? と思っていたのですが、まさかここまでミューズ側に絡んでくるとは予想外でした。穂乃果強奪してんじゃねーか! さすがサンライズ(ガン○ム)!

 それにしても、なんでしょうね、この二人のこざっぱりとしたやり取りは。ラブライブ! 予選で競い合う仲なのに、微塵も嫌らしさ(性格の悪さ)を感じさせないさわやかなライバル関係は。ラブライブ! の世界観にあっててほんと気持ちいいですね。互いの健闘を願いながらハイタッチかましてすれ違うのがとても絵になるような気がします。3話ではあいさつ程度の会話でしたけど、アライズにはこれからもガンガン絡んでいってほしいですね。

 意訳。ほのツバに目覚めました。

 ここからまじめな話ですけど。

 先ほど『ラブライブ! の世界観』という言葉を使いました。以下の文章はそれに関連することで、まとまりがないことを、まず初めに断わっておきます。

 3話を見て気付いたことなんですが、このアニメって外側の世界を描写しないですよね。以前の記事でも書いたことあるんですが、この方針って、1期のころからすごく徹底されていると思うんですよ。1期の出来事を思い出してみると、すべて、ミューズ周りのことしか描写していません。「それはμ’sの物語なんだから当たり前だろう」と思われるかもしれませんが、いえ、そういうことではなくて。そりゃそうなんですけど。この『ラブライブ!』というアニメは、徹底して『外』が描かれないアニメだということが言いたいんです。

 それは3話のラブライブ! 予選の描写が論拠になっています。

 ラブライブ! というのは、スクールアイドルの祭典で、いわゆるインハイのような位置づけにある全国大会だと認識しているわけですが、それだけの規模の大会にもかかわらず、それを取り巻く様子がまったく描かれていません。

 普通、全国大会というと大勢の参加者や観客が集まってわーわーやることだと決まっているのです。それこそドラゴン○ールの天下一武道会の時代から決まっているのです(もっともそれを視聴者、ってか僕が望んでいるかというと微妙なところなので、今の路線は大正解なのですが)。しかし、ラブライブ! はその全国大会の周辺状況を一切描写せずに予選をさっさと終わらせてしまったのです。その際描かれたのは、μ’sとアライズとその近辺のわずかな観客だけ。『外』からの反響はインターネット投票の伸びだけで表現という簡潔さです。

 この傾向は、1期でも見られます。

 7話。

 μ’sが7人になって『これからのsomeday』をネットにあげた回の次の話です。

 人気がうなぎ上りになります。

 しかし、それも、コメントをたくさんもらった、すごい再生数だという風にμ’sメンバーが見た経験した光景です。

 つまり『外』からの反響は常に、何らかのアクションを起こした結果として、μ’sメンバーを通して明らかになっているわけです。

 予期せぬ外部からの出来事というのは非常に少ないし、あったとしても、それの詳細が明らかになることはありません。

 一応、その、非常に少ない予期せぬ外部からの出来事とやらに触れておきますと。

 1期、ことりの留学騒動です。

 11話の放送当時、この展開は視聴者間で賛否あったという記憶があります。

 これっておそらく脚本レベルの問題だったのではなく、今まで維持されてきたμ’s中心の、箱庭的世界観が壊れそうになったからという世界観レベルの問題だったのだと僕は思ってます。

 どうも、ラブライブ! というアニメは徹底して『外』を描かないようにしている気がします。ここまで徹底していると、何らかの効果を狙ってそうしていると思うんですが、なんでしょうね? もちろん制作側の、時間的、金銭的都合だという身もふたもない理由が真っ先に思い浮かびますが、それならほかにとるべき手段はありそうなんですよね。

 今の時点で思いつくのは、視聴者の神視点の排除とかそんな感じです。このアニメ、実は視聴者の見方を結構意識しているような……深読みしすぎですかね。

 ここまで読んで「何が言いたいんだよ?」と思われた方もいるかもしれないのでそろそろまとめに入ります。

 このあたりを考えていけば、わかるかもしれないかと思ったからです。

 どういうことか、というと。

 なにが描かれて、なにが描かれていないのか。

 もっと言えば、何を描くために『外』の描写を切り捨てたのか、『外』の描写を切り捨てることによってアニメにどういった効果をもたらしているのか。

 こう考えていけば、このアニメ(このアニメに限らず)がどういったコンセプトやテーマで作られているのか、がわかる……ような気がします。

 もっとも、今の時点でテーマを論ずるのは早いかなと思います。「このアニメはこれこれこういうテーマである(どーん)」と決めながら視聴するのは尚早すぎますし、そんなことをしてしまえば今後の展開もそういったフィルターを通して見てしまうので、思い込みがちになってしまいます。そうなっちゃうとせっかくのラブライブ! が楽しめなくなってしまいますからね。やっぱりアニメってなんとなく見てて面白いって思えるのが一番でしょう。